新しい学校のリーダーズと伊香保温泉1

伊香保温泉に来たのは数年ぶりだが、前回は観光で小一時間寄ったばかりなので、きちんと泊まるのは初めてである。石段や射的、奥の方まで歩いて鉄っぽい温泉を飲んだ思い出があるが、来てみて改めて石段がすごい。なんでも365段あるという。おじいちゃんや乳飲み子を連れた母親らが階段を上り下りしているさまを見ると、転びやしないかとひやひやする。この日は冬のからっとした晴天だったが、雨や雪で階段が濡れているところを想像するとなんだかおしりがむずむずする。それにしてもこの石段の両側いっぱいに店があり、その周囲にぐるっと旅館やホテルが林立しているのを目の当たりにして、温泉が人を引き付ける魅力にあふれていることを実感する。

さて、その伊香保温泉であるが今回の目的は新しい学校のリーダーズのライブである。ライブと言っても会場は古い家屋で、伊香保の芸者さんたちとのコラボレーションである。どのような内容かは全く分からない。30分間のパフォーマンスがどのようなものになるのか興味津々である。

14時から整理券配布と知り、少し早めに着くように予定を立てた。高速バスで向かったのだが美女木で渋滞にはまり、到着が30分遅れるという。それでも12時過ぎには着くから、あらかじめ調べていたカレーうどん屋でカレーうどんを食う。何種類もあって、どれにしようか迷う。伊香保は水沢うどんが有名らしいが、「知りたい」でいえばうどんかそばならそばが好きだから、うどんというよりもカレーにひかれて食いに来たのだが、カレーもマサラやキーマなど数種類あり、とても一つには決められない。こんな時に数人で来ていれば一口もらいなどと味を知ることもできるが、コロナ禍とあってはそれもしづらいから一人で来ていても同じことか、と自分を慰める。ガラマーチャという辛いカレーを頼んだが、キーマも食いたいしトッピングの骨付きチキンや揚げ野菜も気になる。食っていないものが旨そうに思えるのはいつものことなので、また来る機会があれば違うものを食おうと思うが次に来る機会はまあほとんどないだろう。一期一会。お茶の世界のこの言葉がまさかカレーうどん屋で頭に浮かぶとは思わなかった。

14時から整理券を配るということで、念のために30分ほど前に行くとすでに数人並んでいた。一人顔見知りの人がいたがほかにはいない。結局いつもの常連の方々はほとんどいなかった。年末の平日で休みも取りづらいだろうし、30分の公演、しかもコラボレーションだから半分として15分のために来るのはやはりハードルが高い。結局17時の開場になっても新たな同士は来ておらず、余裕で最前列に座ることができた。

昼間は多少の風はあったが日差しも暖かく、階段を上っていると汗ばむくらいであったが、日が山の端に隠れると途端に冷え込んできた。17時に会場の椅子に座ったとき、冷たすぎて飛び上がった。氷に座ったようだった。新しい学校のリーダーズタオルを敷いて座るとましになったが、開演までの30分でどんどん冷え込んでいくのが分かる。上半身は比較的厚着をしているからいいが、下半身がやばい。ジーンズの布一枚の無防備さ。腿や膝に冷えが食い込んでくる。足元は一年中スポーツサンダルで、靴下を履いているが剝き出しなのでつま先も寒さでジンジンと痺れる。足先の寒さは一年中サンダルだから多少は慣れているとはいえ、東京と群馬の寒さの違いをなめていた。いや、考えなしに来ていた。ステテコやヒートテックみたいなものを履いてくれば良かったと思うがそもそもそんなものは持っていないので対策のしようがない。見かねた知り合いから電子カイロを貸してもらった。腿や膝に当てるとジワリと暖かい。局所しか温まらないので何度も場所を変えて温める。そこの箇所だけ温まるが場所を変えたとたん冷える。小さなカイロで全身を温めることはできないが、それでもあるとないとは大違いだ。ジョジョの奇妙な冒険でプロシュート兄貴のザ・グレイトフルデッドの攻撃から逃れるためキューブアイスで体を冷やすことに対して、そんなもので冷えっこないだろうと思っていたが、たとえ小さくても体は冷えも温まりもするのだと実感した。読みかじった知識ではなく、極限状態で体験してみないと分からないものがある。新しい学校のリーダーズのライブを見に来て、荒木飛呂彦の凄さまで実感できた。

ますます下がっていく気温のなか、17時半、ようやく伊香保をどり公演が開始された。

会場はハワイ王国公使別邸。これはハワイがまだアメリカに組み入れられる前の王国の時代に、ここ伊香保にハワイ王国の別邸(別荘)を建てていて、現在は資料館となっている建物と、今回の舞台である二階建ての家屋があり、この別邸は当時の状態を残したまま保存されている。ハワイ王国の公邸と聞くと華美な印象があると思うが、実際には純和風の、しかも比較的質素なつくりとなっている。どうやら元々あった別荘を購入したらしい。耐震補強用に後から筋交いを入れている説明もあった。それ以外にも修繕をしているようだ。ガラスが昔のままのゆがんでいるのを見て悦に入るのはマニアの悪い癖だ。だがそれも雨戸がきちんと使用されてしていたからこそであり、華美でも豪壮でもないこの建物がちゃんと残されていることは凄いことだと思う。

ところでこの公邸の別邸は避暑地用なのでいかにも風の通り抜けが良い開放的なつくりとなっている。決して冬場に滞在する家屋ではないのである。その建物で冬に催事をするというクレイジーなところが実に面白い。一階も二階も天井は低く、廊下部分は手を挙げると天井に着く。床は板張りではあるがいかにも薄い。飛び跳ねようものなら床が抜けかねない。一階、二階ともに窓側には50センチほどの手摺がある。庭は今は何もないが、当時は池もあるような庭だったのかもしれない。或いは手摺にもたれて遠く雄大な山並みを眺めていたのかもしれない。

とまあこれは翌日会場となった別邸と資料館に行ったから知ったことであって、極寒の中震えながらようやくイベントが始まった。まずは伊香保芸妓の披露である。三味線と唄の人が一人、年季の入った三人の芸妓と、おそらく芸妓ではない日本舞踊を習っていそうな若い女性が二人、計六人構成で舞台が進む。いかにも品のあるお座敷芸が繰り広げられる。あとで思うことだが、天井の低い座敷だから見栄えがする。狭い空間だからこそ、このような舞いが生み出されたのだろうと思う。

さて、いよいよ新しい学校のリーダーズの出番である。ここに立つ前に全米で数万人を前にパフォーマンスをしている彼女らが、今日は限定五十人の前での演舞である。どのようになるのか、興味津々。いつものチャイムが鳴った後、現れたのは、なんと二階! 低い天井はSUZUKAが手を挙げると当たってしまう。また、それほど頑健なつくりではないから飛び跳ねることもできない。この制約がこの日新しい学校のリーダーズの新しい一面を生み出すことになる。

1.狼の唄 日本家屋で歌う狼の唄は一曲目としては最善ではなかろうか。阿久悠の歌詞、サイケデリックな照明の日本家屋、しかも二階。しずしずとすり足で移動する制約のある動きが日本的な表現を高くし、独特な雰囲気が増した。上が狭く、奥に行くと全く見えなくなるので基本的に横移動のみという今までにない空間表現を逆手に取るしたたかさ。そのうえ芸妓とのコラボレーションということで意識的に踊りをそちら側に寄せ、細やかでたおやかなしぐさを取り入れてきた。この柔軟性が素晴らしい。和を取り入れるとは思っていたが、きちんと新しい学校のリーダーズ風にアレンジするのが恐れ入る。例えて言えばアハハではなくうふふ、はみ出していくではなくはみ出させて頂きます、的な。口元に手を当てて微笑んだり、しなを作ったり、今まで見たことのない要素を盛り込んだ刮目すべきオープニング。そしてSUZUKAのボーカルが素晴らしい。低音も高音も滑らかだ。歌い手としての実力もかなり増した。また踊りで言うとMIZYUが凄い。後半のジャカジャカジャカジャカジャカジャジャーンの部分、マイクを持った手が中心からぶれていないのはMIZYUだけだ。こういった細かい部分に差が出る。リーダズのリーダーはさすがだ。

2.雨夜の接吻 日本家屋が舞台だと知ったときに、これは入れてくるだろうと思ったが、まさに今日のステージに合っている。阿久悠作詞が二曲連続というのもにくい。ワンマンでは何度かあるが、この短い構成にあえてこの二曲を組み込む発想がいい。

雨夜の接吻はバラードのない彼女たちの楽曲の中でバラード的な位置にあると思う。それが古い日本家屋との郷愁を誘う。また、この曲の構成自体元々横移動が主体だというのもこのステージである建物に合っている。軸はボーカルのMIZYUであるが一歩引き、SUZUKA、RIN、KANONの三人がしとやかに舞う。その三人の舞いはしっとり度が増している。腕や体の動きもいつもより少しゆっくりと、曲線を描くような舞いが多かったような気がする。踊りというよりも、仕草と言った方がいいかもしれない。何度も見ている曲なのに、今までとは違った一面が見られた。常に進化している。四人は最後、しとやかに締めた。板張りの建物。夜の照明。真ん中にある柱さえ絵になる。考えてみれば木造建築でライブをする機会はそうあるものではない。印象としては神社の神楽や地域の伝統芸能に近いものがある。世界デビューを果たした後に、ディスカバージャパンのようなイベントは非常に有意義だったのではなかろうか。

曲の最後、濡れます濡れますの後のSUZUKAのチンチンの舞いも落ち着いたものだった。ああ、あえてだな、と思った。

簡単なMC。いつもの気をつけ礼からのものだが、口元に手を添えるだけで印象が違う。ぐっと和風になる。おしとやかになる。ホントはおしとやかじゃないのに。はみ出しているのに。男は馬鹿だからこのギャップにやられる。女は魔性だ。例え二十歳だとしても。いや年齢も性別も関係ない。意を決した人間に宿る煌びやかな光に我々は魅せられているのだ。

SUZUKAが柱をまさぐりながらMCを進め、ここから先は後半戦につづく。

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