ものまね阿房列車 御殿場線 その1

 七時半の目覚ましで起きる。六時半の目覚ましで起きてはいたが休日の朝のまどろみを満喫しながら、さて今日はどうしようかと考えていた。この時間帯は静かでとても心地いい。カーテンの隙間から明るい光が差し込むので起きようと思うが、鳥も囀らない静寂に心が安らぐ。だから起きずに寝ながら時間を楽しんでいた。

 扨、7時半に起きなければならない予定もないが起きることにして、洗濯をするか買い物に行くか散歩をするか、そういえば今日は資源ごみのゴミ出しの日だなどと考えていて、そうだ、沼津へ行こうと思う。沼津に用事があるわけではない。御殿場線に用事があるのである。用事があるといってもどこかに用事があるわけではない。ただ単に御殿場線に乗る用事である。内田百閒の阿房列車を読んで以来三十数年、ずっと行きたいと思っていたのだがいつでも行けると思うといつまで経っても行かない。御殿場線の始発駅である国府津にも一時間足らずで行けるし、行こうと思えば本当にいつでも行けたのだが、特に用事があるわけではないから伸ばし伸ばしにしていたら三十年があっという間に過ぎてしまった。だから今日、行こうと思う。

 時刻表を調べて、上野発9時14分に乗ると国府津に10時31分に着く。御殿場線は10時50分発で、12時33分に終点の沼津に着く。帰りは特に用事もなく帰ってくるだけだから御殿場線に乗らずともよかろう。沼津を12時47分に出て15時前には上野に着く。行って帰ってくるだけで六時間。丁度いい。日も暮れないうちに帰ってこられる日帰りの旅である。いや、旅ではない。沼津に目的があるわけではなく、東海道線で国府津まで行き、そのまま東海道線に乗っていれば着くはずの沼津までわざわざ御殿場線に乗り換えて沼津まで行き、降りたはいいが特に用事もないから手ごろな電車で帰ってくるだけの話である。そんなことをこれからするのだと思うと百閒先生よろしく何だかそわそわする。全く用事がないのに楽しみでならない。傍らにヒマラヤ山系君がいないのがちと淋しいが、こんな酔狂に付き合ってくれる友人知人がいる人も少なかろう。

 そんなことを調べて考えているうちに時間が近づいたので家を出た。出たときは薄曇りであったがこれからは晴れそうだ。旅は晴天に限る(旅ではないと自分でも言っているが)。阿房列車はヒマラヤ山系君がいるからいつでも雨模様だけれども、幸い私には山系君がいないのでどうやら晴天の道中になりそうで非常に嬉しい。

 上野駅に着いて改札をくぐって乗り場の案内表示を見るとなんだかおかしい。時間が出鱈目である。表示板の誤作動か何かと思ってホームに行ってみるとアナウンスが流れている。理由は聞き洩らしたが事故かなにかで高崎線と東海道線の直通運転を見合わせているとのこと。なんということでしょう。便利なはずの直通運転が、東京まで行かないと東海道線に乗れないという。こんなことなら最初から東京乗り換えで調べておけばよかったと思うがそれは無茶な注文。事故ならば仕方がない。抑も急ぐほどの旅でもないのだ。いや、旅ではないし、用事ですらないのだ。なんなら行かなくても一向に構わない。それでも天気はいいし、時間に制約があるわけでもないので山手線で東京まで行き、予定より一本あとの東海道線に乗り込んだ。乗り込んでから気が付いたがこの東海道線は平塚止まりだという。国府津は平塚よりもだいぶ先なのでこの電車に乗っても意味がないから品川で降りて改めてどうするか考えて、やっぱり三十年ぶりに思い立ったのだから御殿場線に乗ろうと思い品川駅で次発の熱海行を待つことにしたが入線してきた電車は満席である。立錐の余地がない通勤電車ではないが、座席にはすべて人が座っている。この先一時間以上立たなければならないのか、高崎線と東海道線直通であれば上野から座ってこられたのではないか、いやいや山手線で東京から東海道線に乗り換える時に平塚止まりではなくこの始発の電車に乗っていれば余裕で好きなポジションを座ることができたはずだなどということをぐるぐるぐるぐる思い巡らせながら電車に乗り込むと、丁度一人降りた人がいてその席に座ることができた。この先国府津までの一時間余り座れることができてほっとしたが、なんであの人は品川で降りたのだろう。東京から品川まで、確かに時間さえ合えば東海道線の方が早いが普通は山手線か京浜東北線に乗る。時間を調べて丁度東京発の東海道線がよかったのかもしれないが、品川駅の東海道線のホームは一番端っこなので一二分を争うのでなければ山手線を選んだ方がいいと思うのだが、そこには私には図れぬ理由があるのかもしれない。いずれにせよ、その人のおかげで一時間の安楽が保証されてほっとした。座った席は海を背にする席だったが贅沢は言っていられない。しばらくは車窓を楽しむことにした。


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