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【短期連載】『パヴァロッティとぼく』訳者のひとりごと・その3──パヴァロッティのお墓参り(楢林麗子)

『パヴァロッティとぼく──アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』の原書を読んで、どうしてもパヴァロッティのお墓参りをしたいという想いが湧き上がり、著者のティノに連絡をとって、昨年12月にパヴァロッティの故郷モデナ(エミリアロマーナ州)を訪れた。いまはペーザロ(マルケ州)に住むティノだが、モデナまで車で駆けつけてくれた。12年ぶりの再会だった。

モデナの朝は、いまにも雪がちらつきそうなほど寒かった。パヴァロッティのお墓は、市街から車で10分くらいのモンターレにあった。
墓地の向かいに1軒だけあった花屋には、クリスマス前だったのでヒイラギがたくさん並んでいた。私はヒイラギに赤いバラをたくさん入れた花束を作ってもらった。イタリアではお供えのお花はカラフルだ。
「パヴァロッティ・ファミリー」と書かれた墓地の大きなアーチの奥には、壁一面に墓石があった。祖父母、両親、そして叔母や妹、甥と姪、抱き上げることのできなかった息子リッカルドも眠っていた。家族の墓石のそのいちばん下に、一族の皆を支えるように横長の大きな大理石があり、「Luciano Pavarotti」と彫られていた。あの忘れることのない笑顔の写真もあった。ティノが装飾のついた鉄柵を開けてくれて、墓前にお花を供え、手を合わせた。静かな時間が過ぎていった。

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▲パヴァロッティ家の墓。筆者撮影

そこから、いまはパヴァロッティ財団の管理のもとで博物館として公開されている元の自宅(カーザ・ロッサ)に向かった。途中、大通りから小道に入りしばらく行くと、しだいに視野が開けてくる。畑の中のあぜ道のような、車がやっと1台通れるくらいの道を進むと、遠くにその家が見えてきた。見渡すかぎりの畑は、パヴァロッティの広大な所有地だった。ティノはあぜ道に車をとめて言った。
「膵臓がんの手術のあとモデナに戻って療養していたときに、マエストロとこのあたりを車でよくまわったものだったよ。ある日のこと、ここでこうして車をとめさせて言ったんだ、『君の若さをくれるなら、この土地を全部君にあげてもいい』と」。ティノは言葉を返すことができなかったと言う。

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▲見渡すかぎりの広大な畑はすべてパヴァロッティの所有地だった。マエストロがティノに苦悩を打ち明けたあぜ道。筆者撮影

カーザ・ロッサはパヴァロッティが自分の老後のために、細部までこだわって建てた家だった。そのとなりはパヴァロッティの所有するレストラン「エウローパ’92」があって(10メートルと離れていない)、ほぼ毎日、昼と夜はこのレストランへ来て食事をしていたという。レストランの先には、いまは誰も訪れることのない、馬術競技場の大きなトラックがあった。
レストランで、支配人のチェーザレやシェフのパターノとひさしぶりの挨拶を交わすティノは、まるで家族のもとに戻ってきたようだった。ここではみんながファミリーだった。
ティノは私に「博物館には、君ひとりで行ってくれないか、今日はぼくはもう胸が詰まって、とても行く気持ちになれないよ、レストランで待ってるから」と言った。カーザ・ロッサにはマエストロの思い出がありすぎるのだろう。
3階建て地下1階の大きな家は、1階にグランドピアノとポーカー・テーブルのある広いリビングと、ダイニングとキッチンがある。かつては大きなソファがあり、パヴァロッティが1日のほとんどを過ごしていた部屋だった。暖かな赤い色に塗られた階段を上がった2階にはマエストロの広い寝室があり、その窓からは大好きだった馬小屋が見わたせた。寝室のとなりの、3階まで吹き抜けになった踊り場は、晴れた日にはガラス張りの屋根からの明るい陽差しで満たされる。
パヴァロッティが描いた絵が、いたるところに飾られていた。イタリアの街角やニューヨークのアパートからの眺めを描いたそれらの絵は、どれも鮮やかな色彩にあふれていた。
地下に降りると、そこは世界中のファンから贈られた品々が飾ってある部屋があった。大小数々のパヴァロッティ人形、彫像や日本のファンクラブが贈った本や団扇もあった。ふと壁に目をやると、見覚えのある額に目がとまった。アンディ・ウォーホール風にパヴァロッティの顔を4色に構成したグラフィックデザインの作品で、私の友人が20年前にプレゼントした額だった。タイムスリップしたように、一緒にパヴァロッティの舞台を観たことが思い出された。

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▲いまは博物館になっている旧パヴァロッティ邸「カーザ・ロッサ」

帰り道、ルチアーノ・パヴァロッティの名前が冠されたモデナ市立歌劇場や大聖堂(ドゥオーモ)を見てまわるうちに雪が降りはじめ、しだいに積もっていった。一面真っ白になっていくモデナの街の雪景色は、パヴァロッティからの贈り物にちがいない。この景色を目に焼きつけておこう、そして、「ホワイト・クリスマス」を聴くたびにこの景色を思い出そう──そう思いながらモデナをあとにしたのだった。

楢林麗子(ならばやし・れいこ)
上智大学外国語学部フランス語学科卒。
「三大テノール」をきっかけにオペラに興味を持つ。イタリア・オペラのビデオやDVDを150本以上鑑賞。これまでに聴いたオペラやコンサートは、ミラノをはじめイタリア各地、ニューヨーク、パリなどの海外公演約30回、国内公演約90回。
好きな言葉は「Never too late(なにごとも遅すぎることはない)」。50歳からイタリア語を学び始め、E.ティノコ『パヴァロッティとぼく』が初の翻訳書となる。

パヴァロッティとぼく
アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々
エドウィン・ティノコ[著]
楢林麗子[訳]
小畑恒夫[日本語版監修]
https://artespublishing.com/shop/books/86559-220-7/

定価:本体2500円[税別]
四六判・上製 | 312頁+カラー口絵16頁
発売日 : 2020年9月28日
ISBN978-4-86559-220-7 C1073
ジャンル : クラシック/オペラ/伝記
ブックデザイン:五味崇宏/カバー写真:Gerald Bruneau

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