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ピアノも音楽も超えたスリリングな芸術論──坂本龍一『commmons schola vol.18 ピアノへの旅』 by 板倉重雄

今年7月に発売した坂本龍一さんの『ピアノへの旅(コモンズ スコラ vo.18)』は、謎の多い鍵盤楽器成立史を妄想を逞しくしながら辿った前半、制約の多い不自由なピアノという楽器へのアンビヴァレントな思いを語った後半、ともにこれまでにない視点からピアノとその音楽を論じたひじょうに刺激的でユニークな内容になっています。
ぼく自身、この仕事に携わりながら目を開かされた点が多々あり、ピアノという楽器への見方と聴き方がずいぶん変わりました。にもかかわらず、シリーズ第18巻ということもあってか、一部の専門誌以外ではレビューの対象にならず、編集担当として悔しい思いを抱えていました。

そこで出会ったのがタワーレコードのフリーペーパー『intoxicate』誌に掲載された板倉重雄さんの短評です。「そうそう、そこを読みとってほしかったんです!」と思わず声を上げたくなる嬉しいレビューでした。これはもっとたっぷり読みたいという思いが募り、ロング・バージョンを書いていただいたのがこのレビューです。

折しも坂本さんのソロ・ピアノ・アルバム『Playing the Piano 12122020』が発売されたばかり。本書で語られているピアノ観が反映された穏やかで優しく美しいアルバムですので、いっしょにぜひ味わってみてください。

『ピアノへの旅』は全国の書店・楽器店・オンライン書店、そして弊社サイトでお求めいただけますので、この書評で興味をそそられた方は、ぜひお手に取ってみてください。装丁の第一人者・鈴木成一さんに毎日新聞でお誉めいただいたデザインと造本もじっさいに確かめていただけたら嬉しいです。
                  (アルテスパブリッシング 鈴木)

『intoxicate』誌へのレビューのために渡され、その内容の面白さ、結論がどこへ行くのか分からないスリルに夢中になり、一気に読み終えてしまった。そして、「ピアノ」をテーマとしながら、音楽さえも超えた芸術論となっていること、しかも哲学的内容にもかかわらず対話形式の平易な話し言葉で書かれていることを、多くの方に知っていただきたい、そしてこの面白さやスリルを共有したい、という思いで280字のレビューを書いた。今回、アルテスパブリッシングから、そのロング・バージョンを書きませんかとの依頼があり、改めて本書を読み直して、私が「面白い」と感じた理由を、少し述べてみたい。

vol.18だけど、この巻からのスタートで大丈夫!

坂本龍一氏監修の「commmons schola」はCD+本の形で2008年にエイベックスから刊行がスタート。第1巻はJ.S.Bach、第2巻はJazz、というようにクラシック/非クラシックを問わず、世界中の様々な音楽をテーマに取り上げ、CDの選曲・選盤も一部の巻を除いて坂本氏自らが行い、全30巻からなる「音楽全集」、「音楽の百科辞典」を目指した。
それがこの第18巻からリニューアルされ、プレイリスト(QRコードでSpotify、Apple Musicより呼び出す)で音楽を聴きながら読む書籍として生まれ変わり、発売もアルテスパブリッシングに移った。

じつはエイベックス時代の当シリーズに接したことがなく、読む前はレビュアーとして本書を読むだけで大丈夫なのかと心配したのだが、読んでみるとその心配は杞憂に過ぎなかった。テーマが我々にとって生活に溶け込んでいると言ってもいい身近な楽器「ピアノ」であるとともに、読み進めてゆくと「ピアノ」は時空を超えた「音楽」全般を語る上での突破口にすぎず、さらには「音楽」をも超えた「芸術論」となっていることに気付いたからだ。

「ピアノ」という楽器の本質とは

本書の前半は「ピアノへの旅」と題した3人の鼎談。ゲストは鍵盤楽器の成立史に詳しい研究者・上尾信也氏、ピアノをめぐる文化史に造詣の深い音楽学者・伊東信宏氏。国立音楽大学の楽器学資料館で歴史的な鍵盤楽器に触れたあと(その様子はカラーページで紹介されている)、紀元前のローマ、ギリシャやイスラム世界にまで視野を広げて、ピアノ成立史の謎に挑んでいる。
私にはピアノ成立史そのものよりも、それを巡って3人が語りあうピアノという楽器の本質──音が粒状、音が持続しない、音が減衰する、12音しかない、楽譜に表現しやすい、重くて持ち運べない、自分で調律できない──や、そのことが作曲と演奏に与えた影響についての考察がたいへん興味深く感じられた。

例えば、「ピアノが世界に広まった理由」(p.43〜46)。楽譜(=音楽の記号化)が印刷技術の発展に伴って普及し、産業革命とともに工業製品としてのピアノが生まれ、しかも楽譜の上下に並ぶ音を水平にすれば鍵盤そのものになる、という考察は、ピアノ成立史の本質を衝くとともに、ピアノという楽器の本質も明らかにしている。
「規格化された耳をひらく」(p.52〜58)では、「音楽とか楽器とか譜面が規格化」されてしまったことが、「今の子供たちの音楽を楽しむ耳が狭くなってしまっている」ことに繋がり、「聴くことが音楽なんだ」と宣言したジョン・ケージを引き合いに出しながら、坂本氏は「響き」を聴く重要性を説いている。
3人のピアノを見る目は、愛し、親みのある楽器ゆえかいっそう厳しさを増し、ついには伊東氏が「さっきから近代的な工業製品としてのピアノの悪口ばかり言ってるようですけど」(p.64)と語り始めるほど! 本書が単なるピアノ音楽ガイドではないことをご理解いただけることと思う。

響き、弱音への興味

後半は坂本氏と伊東信宏氏との対談による「静かで弱い音楽へ──近現代のピアノ曲を語る」。
坂本氏がプレイリストの曲目に触れながら、修業時代やYMO時代を含む自らの様々な体験や音楽観(響き、弱音への興味)を縦横に語り尽くしてゆく。
坂本氏は少年時代から多様な音楽に触れ、「音色」「響き」に興味をもつとともに、実験音楽的な「壊れた美学」にも共感を抱いていたと語る。その後、スタジオ仕事の必要に駆られてテクニカルに正確に弾けるように練習し、この練習がYMOでの活動にも繋がったものの、p.115で演奏家が「演奏機械」になることを戒めているのが印象的だ。

その理由は「聴くことを怠りがちになる」から。近年は「完全に減衰しきるまでピアノの音を聴く」(p.96)ことで、ピアノの音と環境音(ノイズ)の境界に触れ、「何か禅的なものを感じ」、その音響を聴く時間をつくるために「テンポも遅くしています」(p.97)という坂本氏は、極端なピアニシモや遅いテンポで知られた指揮者のセルジウ・チェリビダッケの音楽作りを引き合いに出す。
私はここを読んで、かつて柴田南雄氏が、FM放送で聴いたチェリビダッケの指揮するラヴェルの『ボレロ』冒頭を「テープ・ノイズの遙か背景に小太鼓の機械のように正確な脈動がかすかにきこえる」(『私のレコード談話室』朝日新聞社刊より)と描写していたことを思い出し、すーっと腑に落ちたのだった。

巧みな伏線と面白さの理由

もちろんピアノ音楽ガイドでもある本書は、300年前に活躍したバッハ、スカルラッティから現代のライヒ、坂本氏本人までのピアノ音楽を概観し、それぞれの音楽の特質について一般的な音楽ガイドとは違った視点で解説しつつ、その演奏者であるグールド、ミケランジェリ、ペルルミュテールといった往年の名ピアニストたちの芸術にも鋭い考察を加えていく。

しかし、最後の17ページ(p.157〜173)で再び語られるのは前半でも触れた、ピアノという楽器の不自由さ。そして坂本氏はピアノを最近では「ノイズ発生器」と捉えていると告白。身近な楽器だからこそ、鍵盤よりもピアノの内側をいじって「音楽の根源」について考え、「音楽作りの発想の素」としていると語る。読み返して気付いたのだが、ノイズとピアノの関係については、歴史的な鍵盤楽器を試奏した坂本氏がカチャカチャ、ガチガチという楽器が発する演奏ノイズを面白がっている記述があり(カラーページ、p.17~24)に、巧みな伏線張りがされている!

加えて冒頭に述べたように、脳の思考メカニズムのように話題の枝葉が次々に伸びてゆき、結論がどこへ向かうのか分からないスリルに私は夢中になった。最後のページ(p.173)にある結語を引用するのは控えるが、そのスリルの種明かしはp.143にあった。
「いまこうして『スコラ』の話をしているときもそうですけど、ぼくは事前に準備するのが嫌いな性格で、出たと勝負の瞬発力、きれいな言葉で言えばスポンテイニティというか、自然発生性というか、そういうものが音楽でも大事だと思っている」という件だ。「もう大間違いしようが何しようが、最初の瞬間のオーラはやっぱりぜんぜん違います」
読んでいて、坂本氏の面白くって仕方がないという感じの音楽への愛や情熱が強烈に伝わってくるのはそのためだったのか。まさに本書は、坂本氏の音楽と同様、「最初の瞬間のオーラ」を発しているのだ!

いたくら・しげお:クラシック音楽ライター。1996年8月『輸入盤CD読本』(音楽之友社)で執筆活動を開始。2016年8月よりJFN制作のFM番組「Memories & Discoveries」クラシック・レコメンダーとして不定期で出演中。

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