「洗濯」to「選択」
あか・あお・きいろ…。色をぜんぶ足していくと、やがては黒色になるという。この歌は、自分自身を、いろんな色が混ざって黒になった黒猫にたとえ「ほんとうの自分とはなにか」を問う。
私は大学時代、ひたすらに自分探しをして彷徨っていたように思う。
大学に入り、個性的な人々に囲まれ、自分をどのように肯定すればいいか分からない時期が続いた。過去を否定した。環境のせいにした。
けれど同時に、知らぬ間に影響を受け、染められてきた色が、少しずつ落ちてゆくような気もしていた。
それは、いろいろなバックグラウンドや価値観・考えを持つ人と出会ったことによって、自分の中の当たり前を疑ってみること・客観視することができるようになったからなのだと思う。
洗濯と選択
自分の当たり前を疑うということは、一度、自分を「洗濯」をして青空の元で干すのに似ている。
いったい、いまの自分は何色なのか、どうしてその色に染まったのか。ほんとうの色は何色なのか…。洗濯しながら問いかけてみる。 太陽の光に温められ、柔らかな風に吹かれ、さっぱりとした自分は果たして何色になっているんだろう
人の影響を受けやすい私は、人の色にたくさん染まってきたから、洗濯してしまったら、漂白剤を混ぜたように、真っ白になると考えた。自分の色なんてない、と思った。
でも本当にそうなのだろうか。ほんとに私は無色透明なの?すこし立ち止まって考えた。
今まで染められてきたひとつひとつの色も、色の重ね方も。そこにグラデーションをつけたり、絞りを入れたり、時折り洗ったりして脱色させてきたのも。
ほんとうは、ぜんぶ全部、自分が「選択」したからこそできた、この世でたった一つの色なんじゃないか。
きっとその色は、一度洗濯したところで真っ白になるような落ちやすいものではないだろう。洗ってみることで初めて、美しい色が姿を現すこともあるんだろう。
ありのままの自分を知って、受けとめて。これからは自分の身体に、考え方に、行動に、染み付いたものに色を重ね、自分だけの美しい絵の具を作ってみたい。誰にも名付けることもできない、深みと味のある色になるような生き方をしたい。
トンネルの向こう
自分探しの期間は、真っ暗やみのトンネルを一人で彷徨っているような気分になる。
けれど、チラチラと光の漏れる方に歩いてゆけば、ハッとするような色とりどりの世界を、たくさんの人と手を取り合って歩いているのだ、ということに気づく。
すごいなぁ、強いなぁ、と思っていた友人も実は自分と同じような迷いを抱え、彷徨いながら日々生きているんだということに、励まされた。誰かに、何かに染まりすぎたと思えば、自分を洗濯し、またそこから選択していけばいいんだと思えた。
自分の中をひょこっと覗いてみれば、きっと決して人とは比べることができない「自分らしい色」が、どんな人の中にも既にあるんだと、今はそんな気がしている。あなたがいるから、私の色も輝いているはずだと信じることができる。私の色ももしかしたら誰かの色を美しくさせているかもしれない、と希望を持つことができる。
だからこそ、私はすべての人が愛おしい。
世界でたったひとつの色をもつ、あなたが愛おしい。
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