Facebookがメタバースになったことと、尽きない親の不安。

Facebookが親会社の名前をMetaに変えた。ソーシャルメディア企業から、メタバース企業に変わる、というメッセージだ。

メタバースという言葉は幅広い意味を持つ。人々がインターネット経由でアクセスできる共有の仮想世界空間の全般を表すための用語だ。メタバースは、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)技術を使い、より現実世界に近づけたデジタル空間を指すこともある。。。メタバースのファンは、これがインターネットの次の発展段階になると考えている。。。メタバースが目指すのは、人々がもっと多次元で交流できる新たなオンライン空間を作り出すことだ。そこではユーザーがデジタルコンテンツを見るだけではなく、自らその中にどっぷりつかることができる。(ロイター記事 2021年10月21日配信

この、「自らその中にどっぷりつかることができる。」というのが、とても引っかかる。

映像業界でもイマーシブ/Immersiveという分野が注目されている。AR/VRなどのいわゆる眼鏡やヘッドセットをつけるものから、ドームや8Kなどを使った大掛かりなものまで。まるでスマホが瞬く間に人々の生活に入り込んだように、あと数年でAR/VR眼鏡が一般の家庭に浸透するという見立てもある。(個人的には数年単位では変わらないだろうと思うのだが)

Facebookは世界的にSNS界で苦戦しているので、新たな活路をみつけようと必死なのだろうが、この流れは個人的にはとても気になる。特に、あと10年後にティーンネージャーになる子供を持つ親としては。

脳は簡単に騙される。誰か(サンフランシスコなのかロンドンなのかモスクワなのかムンバイなのか知らないが)が、お金を生み出させ、企業がマーケティングに使いやすいように恣意的に作った電子空間の中で、子供が遊ぶようになったとしたら。

いま公園で小学生達がベンチに集ってPSPで遊んでいるように、Oculusで遊びだしたとしたら。

自分の目で見て、触れられるものの代わりに、別の世界を見だしたとしたら。

いつか昔にSF映画でみた、世界の人たちは皆、手術台のベットのようなところに寝かされていて、身体はチューブからくる栄養で生かされているけれど、頭はヘッドセットで電子空間につながっていて、皆そこで「生きて」いる。

そんな悪夢のようなイメージに、つなげてしまうのは私だけだろうか。

実はありえないことじゃない。かもしれない。このまま空気中の二酸化炭素濃度が上がり、気候変動が進めば、いずれ地球は住めない場所になる可能性だってある。子供、もしくは、孫、玄孫の代に、起こりうるシナリオだ。

。。不安症の私は、どこまででも不安になってしまう。

子供には、自分の手で触れて、匂いをかいで、舌で味わえる、その感覚を大事にしてほしい。目で色彩の豊かさを、耳で波動を、「見聞きできないこと」を感じてほしい。

自然豊かな場所での子育てに憧れるが、夫婦共働きだとそうも行かず、実際は都市の真ん中に住んでいる。(公園は多い方だが、虫の種類は本当に少ない)

これを書いている私の周りにもひらべったいスクリーンがあふれている。

これが立体になって更に私達を取り囲んだ時、果たして逃げられるだろうか。シャットダウンして、デバイスをしまって、それで自分の五感を信じられる世界に戻れるだろうか。

気を抜いてはいけない、と思う。彼らはすぐに私たちの生活に入り込んでくる。そして「彼ら」を設計し構築した人々ですら、「彼ら」をコントロールできなくなる時が来る、と思う。だって自ら学習していくのだもの。

目下の課題は、どうやって息子が自分の五感を大切にし感じられる人になれるよう環境を整えられるか、ということ。

でもやっぱりiPadとYoutubeが大好きな息子。母の葛藤は続く。。




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