玄昉僧正の肘塚伝承地発見か
村井古道「奈良坊目拙解」(江戸時代中期 1735年 ※1) にある玄昉僧正の「肘塚」(かいなづか) 伝承地は、この位置だと思います。
詳しくはこちらに写真とご説明があります。
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※1.
🔍奈良県立図書情報館公式ページ「奈良坊目拙解 第二巻」 (原文)
📝 「今當社並肘塚旧跡搆塀於大道傍穿圓形窓使行人拝其所在焉」は
「今当社 (春日神社) 並びに肘塚旧跡は塀を大道の傍に構え、円形の窓を穿ち、行く人にその所在を拝ませる」と訳 (読み下) せますね。「使」は「~をして~せ使 [し] む」「~に~をさせる」との文を構成する再読文字と思われます。
やはり肘塚と神社が上の私の記事で指摘した場所とすれば、
「大道」(この辺りでは南北の旧街道上ツ道のみ) からすこし (西へ歩いて2分ほど) 離れているので、
拝所を作ってそこから拝観するのに適当なポジションだと思います。
(22年3月更新)