ベルトルト・ブレヒト Berthold Brecht (1898年-1956年) の誕生日 (2月10日) 独 劇作家・演出家
ベルトルト・ブレヒト Berthold Brecht (1898年2月10日 - 1956年8月14日) ドイツの劇作家・詩人・演出家。
ナチス政権下のドイツから亡命し、1941年アメリカに移り住んだ後に
映画「死刑執行人もまた死す」(Hangmen Also Die! 1943年 米) の原案を
監督のフリッツ・ラングと共同で担当したのが
やはりブレヒトの映画の仕事としては重視されています。
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ブレヒトは脚本を直接手がけたのでもなく
ブレヒトの考え通りの作品にもなってないそうですが [※1]
この映画独特の
人間の視点をも超える感じの、
色々なレベルでの常識を覆される疎外感は、
( 私が史上最高の映画監督と見ているフリッツ・ラング独自の
闊達で創意溢れる演出効果でもあるでしょうが )
ブレヒトが関わっていたと聞くと
ああそうかもしれないと納得してしまう感じもします。
ただ、その感覚はラングの他の映画からも受けますが、
この映画では特に効果を上げている印象です。
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クネクネとくつろいだ様子でニヤニヤ笑っていたり
突然怒鳴り出したり、
横柄で自意識過剰な言動などを繰り返す
ナチスの軍人たちの
「悪の自覚、客観性の不在」の不気味さ。
民衆が、同胞に対しても次々と疑心暗鬼になっていく感じ。
また、レジスタンスも多少の犠牲は仕方ないと思い詰めて行くところ。
(この辺りの、レジスタンスが「持続」する展開が
史実とは、やや異なるようですが。)
対ナチ協力者 ( ブレヒト演劇にも出演した名優ジーン・ロックハート扮 ) が、
「権力」にすり寄っても
かえってスケープゴートにされ、疑われて
ナチスとレジスタンス双方から追い詰められて行く「奇妙」な展開、
破滅の場面の悪夢的な描き方。
流麗で活劇的な演出・演技でありながら、
音声や光、カットの繋がり方など複数のファクターが、無骨なくらいぶつかり合う、
(ブニュエルなどのシュルレアリスム映画や、ヌーベルバーグ映画に見られるがごとき) 前衛性も備える、
ほとんど人間離れした感覚の映画で、
はじめ見た時は、「こんな時代もあったのか」との想いも含めて
呆然となりました。
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おかしな時代になってしまえば
全てが何かと不都合、不自然になり
寄る辺ない、どんな目に遭うか読めなくなってくる
そんな時代の感じが、映画的に表現されています。
こういう「同化」的な論評は、「異化効果」のブレヒトは好まないでしょうか。
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🔍 Noah Isenberg さんのTweet. ツイート画像は映画「死刑執行人もまた死す」の場面。「死刑執行人」の異名を取った実在のナチス高官ラインハルト・ハイドリヒを演じる、ハンス・ハインリヒ・フォン・トワルドフスキー。
📝 ハンス・ハインリヒ・フォン・トワルドフスキーはドイツの俳優で1919年の「カリガリ博士」で映画デビューしますが、ナチス政権下のドイツからアメリカへ逃れ、この映画や「カサブランカ」(1942年米映画) に出演しています。
🔍 Judy CohenさんのTweet. 「死刑執行人もまた死す」の場面動画。
📝 ハイドリヒを撃ったレジスタンスの医師 (ブライアン・ドンレビー演) が映画館に隠れる場面。
🔍 Martin KesslerさんのTweet. 「死刑執行人もまた死す」の場面動画。
📝 ナチスが報復として、占領下のプラハ市民を無作為に選んで「処刑」する場面(史実とされる) 。眼鏡の男性はヒロイン (アンナ・リー演) の父親の大学教授 (ウォルター・ブレナン演)。 私が初めて見た時は、教授が連行される場面はありましたが、このシーンは見てません。
1987年の「完全版」で加えられたそうです (私の初見は、その後ですが)。
🔍 フレにゃあさんのTweet.
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※1
本ブログ記事発表後、この論文をみつけました。
🔍 ブレヒトが映画「死刑執行人もまた死す」と強く関与していたと述べる論文。
市川明「ブレヒトとフリッツ・ラングの『死刑執行人もまた死す』」(大阪大学大学院文学研究科紀要 2012年)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/23263/mgsl052_091.pdf
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(10日4月12月更新)
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