菅原道真が太宰府へ発つ (901年2月16日) / 「怨霊」より恐い「リアルな人間」 / 建物が無い町 / 道真も聴いた日本最古の鐘の音
菅原道真 (845-903) が太宰府へ発つ (901年2月16日 [延喜元年1月25日])。
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「怨霊」より恐い「リアルな人間」
道真に関して述べられる「怨霊伝説」などよりも、この「左遷」での彼への待遇 (全て自費、派遣先住居はあばら家、家からの外出・就業の禁止) の方にリアルな恐ろしさを感じてしまいます。
玄昉が亡くなる (「續日本紀」に書かれた) 経緯でも、
彼に対する「リアルな人間の恐さ」を (玄昉にまつわる「怨霊伝説」よりも) 強く感じることと同じく。
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建物が無い町
太宰府とは直接関係ありませんが、
一説に菅原道真の故郷とされ、雷がそこだけ落ちなかったと言われる
「桑原町」(京都市) は今もありますが、非常に奇妙な町です。
誰も人が住んでいない、建物が一つも無い町なのです。
それが「町」だというのは、やはり道真伝説との関係があるのでしょうか。
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関連資料 ⚪️ GoogleStreetView
(この4画像は埋込が成らなかったのでURLで貼出)
◯ GoogleStreetView (桑原町 [京都市] 丸太町通と歩道と京都市バス「裁判所前バス停」 のみ / 真北の京都御苑を向いた画像)
◯ GoogleStreetView (榎社 [菅原道真公館址 大宰府])
◯ GoogleStreetView (太宰府天満宮)
◯ GoogleStreetView (大宰府政庁跡 [特別史跡 / 中門跡から正殿跡へのアプローチ])
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菅原道真が聴いた観世音寺の日本最古の梵鐘 (飛鳥時代 国宝)
🎞 科学映像館公式ページ (動画 「観世音寺の鐘」 [動画12分3秒目-] 鐘の音)
日本遺産 太宰府 「観世音寺 梵鐘」 (解説) 『家を出ることもできなかった道真は、漢詩「不出門」のなかで、「都府楼はわずかに瓦の色をみ、観音寺はただ鐘声を聴くのみ」と詠んでいます。』
福岡県文化財データベース 「観世音寺 梵鐘」 (梵鐘画像)
菅家後集 (かんけこうしゅう) 大宰府時代の漢詩集
🔍 コトバンク公式ページ 解説集 /「真の詩の美しさは《後集》に極まる。このような《後集》の世界を受け継ぐものは日本漢文学史上に再び現れてはいない。」(平凡社 世界大百科事典より)
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📔 醍醐寺薬師三尊など国宝指定日 『醍醐天皇 (885-930 [897年即位]) のもと善政を行なったとされる菅原道真 (845-903 [899年右大臣任官]) が901年 (昌泰4年) 太宰府へ「左遷」(無給、外出・就業禁止) され (昌泰の変)、窮死したのが903年 (延喜3年)』 『道真の鎮魂の為、この薬師像が作られたとの説があります。』
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(16日22年10月23年12月更新)