三輪山と渋谷向山古墳 (景行天皇陵)
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🔍 Google ストリートビュー / 渋谷向山古墳 (景行天皇陵 / 中景やや左) と
三輪山 (左) を北方向から望む
🔍 Googleマップ / 上中央の前方後円墳が渋谷向山古墳 (景行天皇陵)
前回の「三輪山と箸墓古墳」記事 (↓) で
「箸墓古墳の中心線は [西南西 - 東北東] の方位を示し」
「南東の [三輪山頂と、裾野の (三輪山を神体とする) 大神神社] のラインとほぼ平行になっており、箸墓古墳を横の西北西辺りから眺めると奥の三輪山の稜線と相似的に包まれた形に見えます。」と書きました。
平行と言っても隣り合う2線では無いので、
箸墓古墳を《真横 (北北西) 》から眺めても、奥の三輪山は真向こうで無く、左奥に見えています。
🔍 ウィキペディア「箸墓古墳」/ アイコンは北西からの画像 (左が後円部)。写真家の入江泰吉が積雪や新緑時にこの位置から撮影していました。
真横の北北西から西北西へと反時計回りに方位を変えて、やや《斜め横》から見ることで、箸墓古墳の側面ラインが奥の三輪山の稜線に包まれた相似的な形に見える位置関係となります。
🔍 フォートラベル公式ページ「箸墓古墳」
https://4travel.jp/travelogue/11155012
箸墓古墳自体の形は《斜め横》から見ても、《真横》から見るのと大して違わない感じです。
それでも、 (相似的な形にしたいのなら) わざわざちょっと《斜め》の横から見ないといけないような、「隣合わない」「平行線」上で無く、
古墳の《真横》から見て奥に三輪山が見えるような、隣り合った平行線上に古墳を作らないのか、と思われるかもしれません。
その三輪山裾野のメインラインの周囲を見ると、ありました。
裾野ラインと二等辺三角形を成す北東の位置に、主軸が裾野ラインと隣り合い、かつほぼ平行な前方後円墳、渋谷向山古墳 (景行天皇陵) が位置しています。(↑ 冒頭に貼ったストリートビュー画像)
🔍 ウィキペディア「渋谷向山古墳」
4世紀中頃の築造とされる渋谷向山古墳は、箸墓古墳が3世紀中頃説 (最古の前方後円墳説・卑弥呼の時代)・4世紀中頃以降説であるのと比べると、時期が後の古墳となるのでしょうか。見た目は箸墓古墳の方が形が整っていて、新しく見える印象も持ちますが、墳丘長は渋谷向山古墳が300メートル (奈良県で2位の大きさ) で箸墓古墳 (同278m) よりすこし大きめとなります。
前々回の記事 (↑) で、箸墓古墳は三輪山の先端 (はし) の位置に有ると書きましたが、
渋谷向山古墳の場合は、(主軸が三輪山の裾野のメインラインと隣り合って平行ではあっても) 場所自体は、主に南西方向に広がる三輪山の裾野とは異なる北西方向であり、「三輪山の端」等の関連を見出しづらいポジションだと感じます。
三輪山との関連として前方後円墳がこの地に造られたとすれば、
まず箸墓古墳の場所に造営されても不自然で無い印象を持ちました。
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