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志賀 直哉 (1883年-1971年) の誕生日 (2月20日) 小説家

志賀 直哉   しが・なおや  (1883年 [明治16年] 2月20日 - 1971年 [昭和46年] 10月21日)小説家。



🔸 奈良の居宅 「高畑サロン」

1925年 (大正14年) 京都から奈良の借家に引っ越した志賀直哉は1929年 (昭和4年) 4月、奈良の高畑に自ら設計した邸宅を竣工、1938年 (昭和13年) 4月東京に移り住むまでの10年間をこの邸宅で家族と暮らしました。

武者小路実篤、小林秀雄、尾崎一雄、若山為三、桑原武夫、小川晴暘、亀井勝一郎、小林多喜二、谷川徹三、上司海雲、谷崎潤一郎、堂本印象ら多くの文化人が訪れ、「高畑サロン」と呼ばれるようになります。

( その後幾度か持ち主が代わりました。
厚生省の宿泊所となり解体が計画されて、草の根保存運動が起こり
1978年に奈良学園が買収保存。
2000年国の登録有形文化財に認定。2008年11月から復元改修工事が行われ、2016年に奈良県有形文化財に指定。)

🔍 奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居 公式ぺージ


🔸 「暗夜行路」


1921年雑誌「改造」での連載に始まり ( 前身小説「時任謙作」は1914年に執筆し始めるが中止している。 )
1928年の同誌での掲載以来未完になっていた長編小説「暗夜行路」に
1937年この高畑の居宅で久しぶりに着手し、同年に完成させています。

「暗夜行路」は何度か読みましたが、京都の (相当に辛辣な) 場面はあるものの、
奈良に関する記述は記憶にありません。

🔸 日吉館

奈良国立博物館の北にあった、歴史や美術の学生・学者、芸術家たちの定宿「日吉館」の宿帳に
1943年 (昭和18年) 12月21日、志賀直哉の名 (なぜか年齢は58歳) が書かれてあるというのは、すこし驚きました。

小さな部屋に雑魚寝の宿だったと聞きますが、既に大御所だった志賀直哉も寝食を同じくしたのでしょうか。

1939年 (昭和14年) 5月10日に堀辰雄も宿帳に記名しています。
堀辰雄の名高い紀行文「大和路・信濃路」では荒池が見えるホテルに泊まる1941年10月の記述があり、 これは奈良ホテルのことですが、
そんな超高級ホテルだけでなく日吉館にも泊まっていたというのが興味を引きました。

🔸「観音院サロン」 「天平の会」 と入江泰吉


東大寺の上司海雲の自坊観音院 (三月堂の南西) に、
文化人たちが集った「観音院サロン」と呼ばれるグループがありました。
そこに奈良を久しぶりに訪れた志賀直哉が参加したのを機に、
1946年 (昭和21年) 6月上司海雲を世話人として
志賀直哉、会津八一、広津和郎、小林秀雄、亀井勝一郎、吉井勇、棟方志功、入江泰吉、杉本健吉、須田剋太たちにより「天平の会」が結成されます。


大阪の文楽の撮影で写真家として名を上げた入江泰吉 (1905-1992) は
1945年3月の大阪大空襲で自宅を失い、故郷の奈良に戻り
東大寺三月堂の仏像の撮影中1946年春に再会した幼馴染の上司海雲の紹介で
志賀直哉の知遇を得ました。

小林秀雄の提案により1958年に東京創元社から発行された、
入江泰吉初の個人写真集「大和路」の序文を志賀直哉が書いています。


🔍 奈良県観光公式   過去のイベントのページ  入江泰吉が撮影した志賀直哉 (左) と上司海雲 (1957年)。
📝 入江泰吉先生はご生前、私もご懇意にして頂きましたが、著名人を撮った写真は初めて見ます。

https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/04public/01art/01north_area/nara-c-shashinbijutsukan/event/j649dqcowy/

🔍 入江泰吉記念奈良市写真美術館 公式ページ   上同写真


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🔍 料理旅館 江戸三 (えどさん) 公式ページ

度々訪れた志賀直哉が名物料理「若草鍋」を命名しました。

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📔 本ブログ関連記事「小林秀雄」

📔「入江泰吉」

📔「堀辰雄」

📔「大乗院庭園」(奈良ホテルに隣接)



(20日21日4月11月21年1月更新)


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