Think about Something
パインジュースの缶を路地裏に蹴飛ばして、一瞬後に後悔した。こんな気持ち誰にもわからないだろう。それは冷静な感覚とは明確に分離されていて、いかなる記述の算法でも表しえないのだ。だから無残に散らばった紙片の本質を突きたいという信仰に従い、どこかにあるはずの合図を待ち続けた。それはさだめし有限に無限を求める途中の手続きで、秀逸な答案用紙に辿り着けることは絶対にありえない。盲点のトランセンデンタリズムに傾きながら、調和させる平行線公理を駆け上がる。やがてもう外せないと気付いた時には、壊れながら安寧の帳の中に倒れ込むはずだ。そして勢いだけの心情でもって迫真性の炎を燃やし、幻影か夢のどちらかに迷い込んだままに川の数を覚え忘れた橋を渡る。
「僕は今一体どこにいるのか」
そんな言葉は響きもしないし那辺に届く訳でもない。この世界には希望的展望が広がっている、僕にそんな考え方は最初から無理だ。むしろ絶望の観覧車に乗せられた気さえする。寂しい恐怖さえ覚えている。しかしそれでも僕は至上の愛のごとき真実が欲しい。それらをこの胸に得るまではまだ死にたくない。誰か助けてくれと叫ぶ気力もないけれど、末端の位置から望む者がここにいると知って欲しい。そうじゃなければ今日まで傷付きながらも生きてきたことに意味を感じられないように思う。そんなことを考えているうち、今は真昼間だというのにかかわらず、にぎやかな飾りつき名詞の理がさまざまな文脈で踊り廻る夢を見た。嘲弄的な始動によってより悲壮を手にした僕は、予期せぬ出来事を常に牢記しながら静かに静まり返る。
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