狂わないために狂うこと

つまり、まともにこの世界に取り合っていたらあなたは最早まともではいられないのだ。

(到底受け入れることのできない事象がのさばっているこの世界で、私の周囲を流れてゆく人々はこの世界の前提条件とされているルールを当たり前のように受け入れ、順応してゆく。
私はこの、ままならない世界で今日一日を生き延びるために思考する。疑問ばかりだからだ。
何もわからない霧の立ち込めるこの未開の土地を、自分の足で彷徨いながら開拓してゆくしかない。それはひどく孤独で恐ろしい作業である。
私にはあなた方と私の何が違うのかわからない。何をもってあなたと私の間に線を引くのか。
私は思う。いや、違うことばかりで、同じ部分など探しても見つからないと。あなたの世界を測るありとあらゆる尺度は私の物差しと目盛が違う。外の世界に出るだけで齟齬ばかり生じる。噛み合わない歯車を回そうとして無理に動かしている。あなたの一歩は私には途方もない大きさである。私は間違っていない。あなたがたの受け入れている世の中の理が私に当てはまらず困難を抱えているだけだ。あなた方が当然のように行なっていることが、私にはできないのだ……)

インターネットには傷付きたくないから誰とも繋がりたくないけど一方でどうしようもなく孤独で、見てくれているどこかの誰かがいるのか、私の預かり知らない誰かにどうか見てほしい、聞いてほしい、という切実な叫びがたくさん落ちている。全ての声が、誰か私の存在を知っていてくれと全身全霊で叫ぶ。私が今存在していることを誰かに知っていてほしい。広大な砂漠に声を投げつける。誰か、誰か見ていてと。
私はその一握の砂に目を通す。私が文章を読むことでその人の存在は像を持って浮かび上がってくる。その人は確かに存在することを認知する。

狂わないために狂う(“Go insane to stay sane”)。一生をかけて私はその行動に身をやつしている。誰とも理解し合えない、そのことを私たちは知っている。その孤独を抱えている。
それでも私たちは分かりあおうとする営みを止めてはならない。食い違う主張を擦り合わせる困難を受け入れなければならない。それを越えた先に真の対話がある。誰にも理解されなくても、この叫びを押し殺してはならない。あなたの声を奪われてはならない。あなたが叫びたい時にそれを行える自由がなくてはならない。あなたはそれをできる限り遠くに響かせようとする。それは誰かに届くと信じ続けなければならない。

違う星の人間を見ている。あなた方が生活をして今日を生きる営みを見ている。あなた方が今日一日を生き延びたことに安堵する。
私たちはけしてまっすぐではないこの道を、大きく肩で息をつきながら進んでゆくしかない。そうして今日を足掻きながら、一日一日を生き延びていくしかない。





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