孤独な暗闇で叫び続けろ

どうやらこの風邪はずいぶん拗れてしまったらしく、まだ治らない。熱でやはりハイになっているのか目は冴え続け、頭はひたすらドライブし続けているので、こうして文章を書いている。

社会から逃げ隠れしているうちに誰かに認めてほしいと思う気持ちはもうなくなったけれど、自分の言葉が誰かに伝わっている手応えは全くなく、虚しい。いや、本当に伝えたいことはけして誰にも伝わることがないのだと、私は知る必要があるのかもしれない。

私はいつも言葉に誠実でいなくてはいけないと思っている。それは私が人に誠実になれないぶん、自分の唯一信じている言葉にだけはせめて正直であって、それを書く行いが私を救ってくれたらいいと思っているから。私の呪いを解体してくれるといいと思っているから。私は祈りを込めて、呪詛を込めて、書き続ける。私を救ってくれ。私を救ってくれ。私を救ってくれ。

私のこの発露は、拙い表現は、決死の吐露は、しかし書き手である私自身が遠くまで届くのを拒んでいる。私は傷付くことを極端に恐れている。私は私を否定されたくなくて、そんな可能性があるくらいなら、誰の目にもふれなくていい、と固く扉を閉ざす。分からない人には分からないままでいい。私の言葉を必要としていない人には、私の言葉は伝わらなくていい。

私は本当に言葉を愛していて、こうして書き続けることで少しでも美しさに近付こうと思うけれど、言葉は遠い。まるで近付けない。言葉は私を愛し返さない。私の言葉は依然としてただただ拙い。それが歯がゆい。言葉が私を救ってくれたから、私もそれに報いたい。言葉は私に報われることなど望んでいないが、私は無様な動きで自分の奥深くから言葉を掬い上げ続ける。

言葉、文章は、本来どこまでも自由であるべきだと思う。編集されて形が整えられていく中で、その刹那の瞬間で衝動に任せて書き上げられた機微はこぼれ落ちていく。文章は巧拙にこだわられるべきではない。その人が書きたいように書いて、そのまま世に出るべきだと思っている。完璧な文章などあり得ないのだ。完璧を目指そうとした瞬間、あなたは何も書けなくなる。あなたはただ思いつくまま、その殴り書きをそのまま残していく。それが一番あなたの生を表していて、一番血肉の通った文章だと思う。

誰も見ていなくても、孤独な暗闇の中で叫び続けること。私は自分の声を自分で奪わないために、私の感情を無視しないために、誰にも届かない私の祈りのために、遠吠えを上げる。その叫びには、誰の返答もなくていい。


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