朦朧

痛飲して煙草を一晩で三箱も吸い免疫が弱っていたのか、三月なのに雪が降って、ついはしゃいで雪の中で遊んでしまったせいか、久しぶりに風邪を引いたので、家で休んでいる。布団の上にいるのは退屈で、何度も起きてしまう。解熱剤を飲んでも熱が下がらないものだから、暑さで息苦しくなり、目はどんどん冴えていってしまう。咳が出て喉が痛いのに、煙草を吸いたくなってしまう。何本も吸った。冷たいお茶で喉を冷やしては、また煙草を吸う。額の上の吸熱シートはすぐぬるくなる。今私が自分の身体を痛めつけ、苦しみを長引かせているのは、その苦しみと引き換えに長い休息を得たいからなのだと思った。

私はその時々で親しくなった人を、急に拒絶してしまう悪い癖がある。親しい人と何度も会い、会話を重ね、その時間に心地良さを感じているのに、突然私が私の重みに耐えきれなくなり、誰とも会いたくないと、その人の前から遁走してしまうのだ。過去そうして、途絶えてきた友情や恋愛がいくつもある。
それを思い返すたび、器用にできない至らなさと、どれだけその人を傷付けただろうという自責に苛まれ、目の前が真っ暗になる。身勝手な話だ。
不思議なほど冴えた(もしくは熱でトリップしているのか)頭で、過去関係が途絶えたうちのひとりに、手紙を書いた。不思議なほど言葉がどんどん出てきて、書き終わった私は泣いていた。私がその手紙を出すのかは、わからない。

以前ももう出せない手紙をここに放流したことがあった。もう二度と会えないと思っていたので、そのさびしさをどこかに書き残しておきたかったのだ。
その人と再会した時、「読んでいたよ」と打ち明けられ、恥ずかしさと、しかし確かにあなたに伝わっていたのだという喜びとで、飛び上がるような気持ちでいた。その手紙に対して、「茫漠とした海の中に、それでもあなたが切実な思いを祈りを込めて投げかけているのを見て、泣きそうになった」とその人は言ってくれた。
再会したのちに、私たちの中では誠実な心のやり取りをできたと思う。私は愛してしまった人に取り繕ったりすることができないので、素直に思いの丈を全て打ち明けてしまう。あの時通じ合ったものは、けして嘘ではないと思える。また交流は途絶えてしまったのだけど、あの時、短い間でも親密なやり取りを重ねて、お互いに過去の思いを打ち明けあったことや、その時の思考を真摯に聞いてそれに返答をしてくれたことが、私には随分救いになった。

今、机の上には書き終えた便箋何枚分もの手紙があり、しかしこの手紙が相手に渡されるべきなのか思いあぐねている。一方的に離れられてなんの心の整理もないままに会えなくなった人から急に手紙が来て、それがなんだというのか。私だったら煩わしいし、怒りを覚えると思う。
けれど、私はその当時のことを鮮明に覚えていて、そのどれもが楽しい記憶ばかりだった。それは私が傷付けた側の人間だからだろう。傷付けられたその人の中で、かつての楽しかった記憶が全て苦しい記憶に取って代わっているのなら、私が謝りたい気持ちや、あの頃私が壊れもののようなその人を魂の片割れみたいに確かに思っていたこと、彼と心が通じ合った気が確かにしていたこと、自分の好きなものの話をたくさんなんの説明もなく交わすことができたことの尊さ、そしてこれからも長く続く楽しい予感を孕んでいたのにみすみすそれを捨ててしまったことの後悔を抱えていると、そう伝えたい。

その人とはもう会えないと思う。けれど、この手紙を人伝いに届ける手段は今あって、それを思いつく限り、私の声をその人に届けられる可能性がある。だから、今回はこの手紙をここに流さない。いつか手紙を渡す決心が付くまで、このやり切れなさを抱えている責任が、私にはあるのだろうと思うのだ。

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