私のジャニオタ遍歴
連投失礼します。
休みの日、時間もあるし語りたくなる日も
あるじゃないですか。今日はそういう日です。
今回は私のジャニオタ遍歴について。
時は遡ること何年でしょう、、
実は母がジャニオタだったので物心つかないうちからジャニーズが身近にある家庭で育ちました。
父もジャニーズではないですが割と収集癖があったので家の中にCDやらDVD、なにかしらのグッズなどがあるのは何もおかしくない環境でした。
母の推しは私が知っているのはSMAPからですが
近藤真彦さん→光GENJI・チェッカーズ→SMAP→関ジャニ∞
だそうです。(福山雅治さんも好きです)
そうです。根っからのジャニオタです(笑)
そんな家庭で育った私がジャニーズにハマらないわけがありません。
物心ついた時から大晦日は紅白からのカウコンが当たり前でガキ使はちゃんと見たことがありません。
24時間テレビもずっとついてます。
SMAPの番組はよく母と一緒に見ていました。
でもSMAPにはハマりませんでした。
(英才教育で歌は歌えますが)
私が一番最初に気になった人は松兄だった気がします。(あんまり覚えてないけど)
記憶も曖昧なので何をきっかけに。とか分からないですが、、
その次は当時読んでいたちゃおでHey! Say! JUMPの漫画を読み、知念くんにハマりました。
最初のDVDになるのかな?あんまり詳しくないのでここも曖昧ですが叔父に誕生日プレゼントで買って貰ったものがあった時期がありました。
そしてそのすぐ後、2008年。
ついに現在も推し続ける嵐と出会います。
2008年で潤くん担当だと言うと毎回のように
花男だ!ファイナル堕ちか!?と言われるのですが
私は24時間テレビ堕ちです(笑)
2008年8月30日。
その当時はあまり深く考えていませんでしたが
後に担当となるひとのお誕生日に堕ちてるんですよね、、運命かもしれません(黙)
この24時間テレビはおばあちゃん家にお泊りに行っていて従兄弟たちと遊びながらなんとなくテレビにうつっている5人組を見ていました。
しかし途中から遊ぶことも忘れ、見入っていて
おばあちゃんから「この人たち好きなんね?」と
言われて気づくんですね、これが。(当時9歳)
このとき嵐は10周年目前で花男フィーバーもあり
結構世間に知られていたときで、
母から 「嵐やね〜 みんなかっこいいよね」と言われ
嵐というのか。松本潤くんというのか。と
嵐を認識し始めます。
今思うとパパ役のドラマ(しかも病気系)で
よく9歳の私、見抜いたな、、と感心します(笑)
そこからはもう世間が嵐フィーバーになり
クラスメイトには何人も嵐ファンと名乗る子がいて
みんなそれぞれに好きなメンバーが決まっていて。
私の周りは翔くんが多かったイメージです。
みんなが翔くん!にの!と言っているなか
まつじゅん!と言うとそのころは道明寺の印象が独り歩きしていたので、えー、、怖そうじゃん〜とか
俺様系が好きなんやね〜とかよく言われました。
別に私も本当の松本潤を見抜いていたわけではないと思いますが、ただ単純に潤くんがかっこよく見えたというだけです。ちょっとオラついてるのもかっこよかった。
そんなこんなで中学にあがるとだんだんジャニーズ離れをしていく子達が増えます。
バンドにハマったり、2次元のほうに行ったり
EXILE系やそもそもそういう界隈に興味がなくなったり。
同じ気持ちで語り合っていたはずの嵐ファンだった子達がオタ卒していくのです。
なんだか置いてけぼりになった気分。
まだジャニーズ好きなの??なんて言われたこともありました。まだ ってなんだ!って感じですよね(笑)思春期面白い。
ですが、ちょうどその頃SNSを始めます。
近くにはいなくても、ツイッターにはたっくさんの嵐ファンがいるのです。すごく居心地のいい空間でした。
そんなこんなで高校生になると
今度はジャニーズ関連でお友達ができます。
グループはかぶっていなくても話題は尽きないわけで。でもやっぱり前は嵐好きだったよ〜って子はいるけどみんな若手のグループにうつっていたりして
嵐ファンは身近にいませんでした。
ツイッターが心の支えです。そこからの派生で一緒にコンサートに行ったりいろいろ語ったりできる愛方もできました。
そして嵐一筋で貫き通した青春時代が終わり社会人へ。
就職した今の会社もなかなか理解というかわかってくれる方もいてオタクを隠さず仕事ができています。とても有り難い。
そんな嵐一筋な私に転機が訪れたのは
休止発表も関係したかもしれませんが、発表された時は普通に病みました。ずっと泣いてました。
このまま2020年の年末を迎えると私はどうなってしまうのだろうか、、
不安でしかありませんでした。
嵐がいる生活が当たり前になっていたから。
レギュラー番組、長時間の音楽番組。CDを発売すればMステへ。24時間テレビに紅白歌合戦。カウコンは途中から参加。年に一回のコンサート。
これらすべてが当たり前というなんと素晴らしい環境で過ごしていたのか、今になって思い知らされます。
そして嵐が休止前、駆け抜けていこうとしている時期に今も世間を騒がせるあいつ。
コロナウイルスが発生します。
一旦最後の嵐五人の姿を見に行かないと!!!と
意気込んでいたアラフェスも延期。そして配信。
結局私が最後に会えたのは2019年11月の札幌公演。(にのちゃんが結婚発表した後だったので複雑な気持ちのまま見守りました)
そこから徐々にJrの沼へと引き込まれていくこととなります。
だいぶ長くなったのでこの辺で一旦切ります。
続きも今から書きますが(笑)
こんな拙い文章を読んでくださっている優しい方どうぞPart2へ✌🏻
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?