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マヨイガ

一生懸命生きるのって意外と難しいと思う。
それなりにそこそこに生きるのも難しい。

いずれにしても、定義がとても主観的だからかな。

ふと銀行の口座の残高を見て、なにができるか考えてみてしまったりして。

支えるべき存在や守るべきものを失うということは、大袈裟に言えばちょっと生きる意味の一部を失くすようなもので。

若い頃は、宗教なんて、とバカにした態度で居りましたが、最近は仏教の葬儀や念仏に心をちょっと救われたりした自分がいて。

勢い余ってヨガのインストラクターでも目指して悟りを開きたくすらなってくる。ちょっとのことで崩れる。凹む。悲しむ。泣く。安定が欲しい。

情けなくも、病気がちだった兄を無くしては家族はまとまる意味なども見出せず、私も人生の頑張りどころすらちょっとわからない。

同じ家にいる相方も結局は他人で、私など居なくても、結局は自分のペースで生きていくんだろうと思う。

病気のせいであったとはいえ、どこか幼稚とも言えてしまう純粋さで家族を愛し、私のことすらも可愛がって慕ってくれた兄。打算のないまっすぐな思考で。

そんなあたたかみやさまざまな出来事を振り返ってみては、去年の厄年に、なにが厄だったかといえば、その兄の大きなまっすぐな愛、もしかしたら人生最大に透き通った純粋な愛を失ったことだったのではないかとすら思えてくる。

生きている間にもっと彼を大事にしてあげられなかったことが悲しい。

荒んだ世の中で、みんなどうやって毎日生きてるんでしょう。

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