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映画"君が死んだあとに"に向けて

なぜ、彼らは、あんなに熱くなっていたのか。
熱く生きることは今ではカッコ悪いことなのか。
時々、私の中で起こる疑問だ。

私の学生運動の最初の出会いは、叔父の思い出。  

東京の大学に入学した叔父は下宿していたはずが、家に急に住むことになった。

母が妹を出産する為に実家に行って、私たち兄妹の面倒を見るからだと思っていたら、後から母から叔父は学生運動をして警察に捕まり、兄である父と共に暮らすという事で、父が警察にもらい下げに行ったと聞いた。

後々、叔父が亡くなる数ヶ月前に、叔父の病室で、叔父の同級生から学生食堂を占拠して、皆んなでカレーを作って食べた思い出話を聴き、なんともホンワカとした雰囲気と思った。

私はしらけ世代であるが、映画や演劇が好きで、見聞きしているうちに、学生運動をしていた世代の人たちが作った文化にぶちあたった。

憧れた。

具体的に何があったのか調べもせずに、エネルギーの爆発に憧れを持った。

特に演劇に傾倒していき、団塊世代や次の世代の人たちや、次の世代のつかこうへい、小劇場といわれる劇団、など色々と観た。

でも結局、学生運動が何か分からず、ずれて行った。
多分、危ないものではないかと嗅覚が働いた感じだ。

都立の学園祭には立て看板があったけれど、学校内が荒れている雰囲気がしたり、
学校の入学時に立て看板やビラを配りませんと誓約書を書かされた。

なんと今度映画になるとのこと。

監督と音楽の方々は、しらけ世代。
よく存じ上げないが、やはり同世代の方で団塊世代への思いを持つ方々がいることに共感した。

三島由紀夫と東大生の対談の映画もあったけれど、
今回は"闘争し死に至った"
話。
事件の事、事件当時関わった人たちへインタビュー等、
ドキュメンタリー映画。

今回は本物だ。

3時間20分の映画を観る勇気がなかなか出ないけれど、逃げられない何かを思っている。

多分命懸けの事柄だからだと思う。
命懸けは、人を惹きつける。

そして日本の歴史であるのに学校で学んでいない。

体験した人たちの言葉を聞く機会。

何故か気が重い、そして気になる映画。

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