あたたかい記憶
うちから歩いて30秒ほどのところに、
お寿司屋さんがある。
肴屋まこと。
大将のセイさんは御年80を超えられているけれど、溌剌とされている。
青森から直送のネタで、四季折々の味を楽しませていただいた。
旬を味わえる貴重な店だった。
しかもどれだけ酔っても歩いて帰ることができる。
店に集うお客さんも朗らかで、さまざまに会話を楽しめた。
まことが閉じると聞いたのは一昨年。
2020年いっぱいで、店の入っているビルが建て壊されることになったと。
聞いた時は、とうとうその日が来るのかと胸が痛んだ。
それが、コロナでビルの建て壊しも延期となり閉店も一年延ばされた。
延期されたはいいが、コロナで思うような営業もできず。
いつだって、再開を待ち望んでいた。
いつかはそういうことがあるともちろん思っていたけれど、セイさんの体調ではなくて建物の取り壊しによってというのがとてもとても悲しい。
新しい場所に移るほどの体力がないとおっしゃるが寿司人生60年以上の人が、ぷつりと仕事をしなくなった後のことを思うとことさらにせつない。
昨日、一昨日と超常連さんが集い別れを惜しんだ。
そこに加えていただけていることがありがたくて。
今も書いていて、泣けちゃう。
愛おしい時間が持てていたことに。
このような思い出をもたらしてもらえたことに。
人が生きるとは
どれだけの人と
どれだけのやりとりができたか
ということじゃないかと思う。
この肉体を抜け出るときに
一つでも
自分をあたためられる記憶が
持てていたら、
私はそれでいいような気がする。
あなたの清きサポートでますますがんばれます٩( 'ω' )و サポートしてくださった分で見聞を得て、またおかえししていきます。