◆新しい良いものが始まる予感をもって

毎日の習慣というものは、それが良い習慣であれ、個人の癖のような、ささやかなレベルのものであれ、ある意味、その人を平常心にさせてくれるのに大いに役立つもののように思います。

すごく卑近な例で恐縮なのですが、朝起きたとき、心身ともに疲れや何らかの不快感を感じていても、いつものように体を動かし、生活を形作る行為、たとえば顔を洗ったり、歯を磨いたり、朝食の準備をしたり、洗濯機を回したり…ということをしていると、だんだんと、あ、今日もなんとか、いけるんじゃないか?と、体も心も動き始めるのです。

それは「慣れ」ということに関する、心身の安心感がなせる業で、程度や内容の差こそあれ、誰でも思い当たる経験ではあると思います。しかし、そんな「役立つ慣れ」が、逆に人を疲れさせ、出口のない螺旋階段を上り下りしているような緩慢な疲労と不安に変わることもあると思うのです。

50代ともなると、多くの人が自分なりの習慣をもち、自分のこともある程度理解できて、自分に対しても、自分の生活に関しても固定したイメージをもっていることでしょう。それが前述のような「安心感」として、私たちの安心できる日常のイメージを形作ってくれるのは大切な感覚ですが、いつも、そしてこれからもずっとその固定された感覚にとどまり続けていると、それはそれでまた、ある種の閉塞感という罠にはまるのではないかと感じています。

自分の心身に、そして日常生活のベースとしての安心感を感じつつも、そこから少し新しい未知の世界をのぞいてみる、何か「新しい良いものが存在する」という希望をこれからもまだ、感じながら生活できれば…幸せな中高年生活を送ることができると思うのです。

さて。「新しい良いもの」を探して。50代の明るい未来はまだまだ続くのです^^



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