ちょっとふしぎなお話し
4月。
暖かな、ちょっと甘さを含んだにおいの風。
街中は、これから始まる新生活に向けて希望と不安で胸を膨らませた人々が行き交う。
私はこの季節がとっても苦手だ。
多くの人々がこれから始まる新しい生活に向けて、きらきらの笑顔で過ごしているこの時期。
私は毎年、隠れて泣いている。
どうして私だけ素直に新しい環境を喜べないんだろう。
これが中学生の時からの悩みだった。
私がいじめられていたわけでもないのに学校に行けなくなったこともある。それも春だった。正確にいえば、私はいじめられていない。私と仲良くしていた人がいじめられていた。
なのに、どうして関係のない私が学校に行けなくなったのか。
こうした不可解なことは他にもある。
電車の中。見知らぬ赤ん坊が泣いてる。
ああ、長い電車移動で疲れたのかな。これからどこに連れて行かれるのだろうって不安なんだろうな。
そうやって赤ん坊の心情を想像しているうちに、なぜか私まで泣きそうになるのである。まるで私の心に赤ん坊の気持ちが乗り移ったような感覚。
数年前にはこんなこともあった。身内が入院をしておおきな病院にお見舞いに行った時のこと。
古い病院。4人部屋くらいの大部屋だったのは覚えている。
病室に入った瞬間、大勢の人の感情が一気に自分の中に入ってくる感覚がして、それを全部受け取ってしまった私は、後ほど涙がとまらなくなった。
たぶんその大勢の人の感情の中には、今この世にはいない人の感情もあった。
たしかにあった。
似たようなことはけっこうあって、大抵は感情を抑えられるのだけど、たまにはその場で、なぞに泣き崩れてしまうこともあった。周囲の人はそれをふしぎそうに見ていて。
この不安定な自分の感情が憎かった。不安定な感情に振り回されるのもしんどい。
いろいろと調べたことがある。うつ病、適応障害、不安障。どれも自分と近いようででもぴんとこなくて。
ある時、SNSのなにげない記事でエンパス体質っていうのを知った。
サイコパスとは逆で、人の感情をもらいやすい人のことを言うらしい。
それを見て、すべての謎が解けた。
あのひ、病院で涙が止まらなくなったのも、赤ちゃんの鳴き声に共鳴しそうになったのも。
すべてが繋がった。
そして今の私。
自分は人の感情を受け取りやすいと気づいてから、すこしだけ楽に生きれるようになった。それは、人の感情と自分の感情を切り離す訓練をし続けているからである。
私は霊感があるほうだと思うが、ふしぎなことに、自分がエンパスと気づいてからは、霊的な体験をすることがなくなった。
きっともう一人の私がガードしているのだと思う。
体が弱ってると風邪をひきやすいのと同じで、私の気持ちが弱ってると、ついうっかり受け取ってしまうこともある。
そういう時は大好きなアロマをかいで、気持ちをリセットするようにしている。いや、リセットできるようになってきた。
今年の4月も、きっと街中の人が笑顔で行き交う中、私は年度始めという環境の変化に耐えれず泣くのだろう。
でも、今年はだいじょうぶ。そんな気がする。
自分の特性がすこしずつ見えてきたのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?