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心は抽象性に留まることができますか
私たちの心に、この世界が提供する価値を信じる思いがあるならば、無意識にそれを求めてしまいます。
それを得るために何をすればいいのだろう、どこに行けばいいのだろう、誰にどのように働きかければいいのだろう、などと考えるのです。
今までの経験から、たとえそれを得ることができたとしても、それは一時的なもので、永続する喜びを伴っていないことは知っています。
しかし、具体的なそれを得ることは価値のあることに思えるのです。
また、それを得ようとする思いの中に、今それが得られていないことに対する不満があることが分かります。
その不満は、周りの誰かに投影され、その人に対する裁きとなります。その人が変わってくれればいいと思うのです。
具体的なそれを追い求めている間は、その閉塞的な状況から抜け出すことはできません。
一度立ち止まり、それを追い求めることを手放してみるのです。手放すとは、それを聖霊にゆだねることです。自我はそれを強く握り、いつまでも追い求め続けます。その自我を手放し方向転換をしてみるのです。
自我は具体的なものを求めます。追い求めているものは、具体的なものです。
それが手放されたところにあるのは、捕まえ捉えることのできない抽象性なのです。その抽象性は心の最も自然な在り方です。
しかし、自我にとって抽象性は不安定で落ち着かないものです。だから、自我と同一化している心はそれを嫌います。
ただ、その抽象性の中でこそ心は安らぎと平安に留まることを見出します。
心が抽象性に留まることができるようになると、具体的なものを追い求める苦しい閉塞感から解放されます。
そして世界や人々を抽象的なものとしてそのままにしておくことができるようになるのです。
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