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学ばれる秘密

相手が有罪であれば、私は無罪であり、私が有罪であれば相手は無罪であるということが私たちの普通の感覚ではないでしょうか。

それと似た感覚が、誰かが得をすれば私は損をし、私が得をすれば誰かが損をするというものです。

利害の不一致は分離した自己が実在するという信念の中では当たり前の感覚なのです。

それに対して分離した自己を超えたところにある信念体系の中では、私と兄弟とは共に有罪であるか共に無罪であるかどちらかです。

真理においては共に得をするか、共に損をするかどちらかであり、私たちが互いに異なっていてどちらか一方が得をしてどちらかが損をするということは不可能になります。

これは私たちが学ぶことのできる秘密ではないでしょうか。ほとんどの人はこの秘密を知らないで生活を続けています。

この秘密を発見した人は、自分自身の無垢性と兄弟の無垢性が同時に存在することを信じられるようになります。

兄弟に有罪判決を下し、自分に無罪判決を下すことがたわいもない子供じみた遊びであることが分かるのです。

聖霊は相違が存在しない所に相違を見ることはありません。聖霊の目には私と兄弟に相違はなく、あらゆる人に無垢性が見えるのです。

それは私たちが求めれば与えられる目です。

その目で世界を見るとき、どれほど美しい世界が見えるでしょう。

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