自我と聖霊の救済計画
私たちが考える救いの出発点は不満ではないでしょうか。
不満を出発点とし、その原因が取り除かれることに救いを見ようとしているのではないでしょうか。
不満の原因を特定し、それがなかったならば今より幸せだと考えるのです。
また、不満の原因は過去に根ざしているので、過去の状況が違っていれば今より幸せであったろうと考えるのです。
不満とは「もし、これがこうでなかったなら、もっと幸せであったのに」という一つの主張です。
「こうでなかったら」という状況はほとんどが外的な状況であり、それは、外的な状況が変化するようにという要求なのです。
自分が救われるために、変わるべきものは自分の心ではなく、外的な状況であるという主張です。
このような救済計画は実現される見込みはなく、失望に終わらざるを得ません。
これが自我の私たちに対する救済計画の基本なのです。
絶対に見つからない所で救済を探し求めるという間違いなのです。
それに対して聖霊による救済計画は失敗のありえないものです。
それは答えのあるところに答えを探すので、必ず答えを見出すことができます。
その答えは平安の中で理解できるものです。その理解は思考によるものではなく、心の最も深いところでの、言葉にできない体験です。
そこにある「すべてはそれでよかった」という安心は、すべての不満を消し去ってしまうのです。
不満が消し去られたところに救済は横たわっています。
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