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赦しのプロセスには必ず癒しが伴います

赦しは罪悪感を消していきます。それに対して裁きは罪悪感を強化し実在するものとします。

なぜ赦しは罪悪感を消していくのでしょうか。

赦す相手は自分自身なのですが、他者を通してそれは行われるのです。

他者が自分を傷つけ痛みを与えたと感じます。

他者の言動が、自分に嫌な思いをさせたと感じます。

すなわち、その状況において赦される必要があるのは他者であり、自分ではないと思えるのです。

それでも、赦される必要があるのは自分しかいないのです。

傷つけられた自分が赦されなければならないことは簡単に理解できないかもしれません。

赦されるべきは自分だけだという理由は、傷つけられたと感じる原因が自分の罪悪感であるからです。

もし、罪悪感が完全に取り消され、罪悪感から解放されているとすれば、傷つくことはあり得ないのです。

その意味で、イエスは十字架の上で傷つくことはありませんでした。彼の肉体は傷つけられたように見えましたが、彼自身はまったく傷つけられることがなかったのです。

他者から傷つけられる体験を通して、自分の中に隠されている赦される必要のある罪悪感に触れることができます。

私たちを傷つけるように思える他者は、私たちに赦しの必要性を見せてくれる役目を担ってくれている人なのです。

その人を通して自分の内面に生じるあらゆる思いを、聖霊に差し出します。

なぜなら、罪悪感の取り消しの責任を担っているのは聖霊だからです。自我と同一化している罪悪感を隠し持っている私たちは、自分を赦すことができないのです。

これには多くの痛みが伴うので、優しくゆっくり進められる必要があります。他者から傷つけられる痛み、自分の心を直視する痛み、自我の抵抗からくる痛みなど多くの痛みが伴うのです。

聖霊はその痛みを癒してくれます。

罪悪感を一つずつ聖霊に手渡していくプロセスには、必ず癒しが伴っています。

聖霊はあなたを非常に大切に思っており、無理をさせることを望まないからです。

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