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つながることができますか
つながることができますか。その人とつながることができるでしょうか。
つながりたくない人がいますか。どうしてもつながることを拒否してしまう人がいるでしょうか。
あらゆる人とつながることは可能でしょうか。
私の心があらゆる人とつながることを許すことができるでしょうか。
もし、決してつながりたくない人が一人でもいるとすれば、私の心はそれを許すことはできません。
孤独とはつながらない選択です。憎しみ、恨み、妬み、裁き、それらはすべてつながることを拒否する選択なのです。
つながりの中に孤独はなく、敵意は存在できません。
その人とつながっているとすれば、心の中でその人に触れ抱きしめることができます。
無条件の愛は、あらゆる人とつながります。特別な愛は限定された特別な人とつながるのです。普遍的なものではないそれは幻想と呼ばれます。
すべての人とつながりたいでしょうか。それとも、特別な人とだけつながりたいでしょうか。つながりから除外しておきたい人がいますか。
自分が何を求めているのかを正直に見つめるなら、すべての人とつながることを望んでいないことが分かります。
つながることを恐れていることが分かります。
つながるならば「私」が失われると心のどこかで感じるのです。
そのためにつながりたくない人が必ず存在します。自分を傷つけるように思える人とつながりたい人はいないのです。
イエスはすべての人とつながりました。一人の例外もありませんでした。心からそれを望んだがゆえにそうなりました。あなたも私もその中に含まれました。
自我は決してそのつながりを望むことができません。自我と同一化している限り、私たちもそれを望むことはできません。
自我を握りしめている手を緩め、イエスとつながることを許すと、すべての人とつながる望みが生まれてきます。
片想いの人がいるとします。その人がこちらを振り向いてくれるだけでつながりが生まれ嬉しいのです。今はイエスからの片想いかもしれませんが、あなたが振り向くならつながることができます。イエスのあなたへの想いは変わることがないからです。
そのつながりの中には、いかなる問題も存在しません。
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