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平安に至るための選択
ほんの少しでも不安があれば、ほんの少しでも不満があれぼ、ほんの少しでも怒りがあれば、ほんの少しでも疑いがあれば、そこには自我と同一化していることに伴う罪悪感が存在します。
もし、罪悪感から完全に解放されていれば、不安や不満や疑いを持つことはできないのです。
これは努力の話ではなく、光の中に闇は入ってくることができないのと同じように、何の努力もなくできなくなるのです。
不満や不安は自我と同一化することを選択した自分自身の責任であることを理解することが、どれほどの希望をもたらしてくれるのでしょう。
不安や不満が生来人に備わっているものであるとすれば、それから解放されることは不可能なのではないでしょうか。
それを自分の責任として受け入れることで、真の希望が生まれるのです。
その希望は違った選択ができるという希望です。
自我との同一化を手放し、真の自己に開かれていくことを認める選択です。
真の自己の中に罪悪感はありません。罪悪感のないところに不安や不満はありません。
不安や不満を手放してしまえば、そこに平安があるのは自然なことです。
これはとてもシンプルですが、容易な選択ではありません。
今まで慣れ親しんだものを手放すのは、思ったより骨の折れる作業なのです。そこには忍耐が必要です。助け手に対する信頼も必要です。
何度も絶望感を体験するかもしれません。多くの疑いが生じるでしょう。
しかし、私たちが帰るべき場所は、その平安なのです。どんな曲がりくねった道を辿ろうとも、必ずその平安に辿り着くことになります。
どれほどの時間をかけることも私たちの自由です。どんな曲がりくねった道を辿ることも赦されているのです。
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