いまさらですが自己紹介を
noteに記事を書きはじめて数年。
そういえば自己紹介をしていませんでした。
いまさらですが自己紹介させてくださいね。
小池まゆみです。こいまゆと呼んでもらえたら嬉しいです。
生まれも育ちも神奈川県。
一度も県外で暮らしたことのない生粋の神奈川県民です。
神奈川県横浜市でナード・アロマテラピー協会認定校をはじめて17年。
アロマの先生としてのお仕事のほかに、皮膚科クリニックでの管理事務とカメラマンという三足のわらじを履いています。
お仕事にかける想いやビジョン
わたしはわたしでいいし、あなたはあなたでいい
人に合わせた人生を送る必要なんてない
わたしががアロマや写真撮影を通じて気づいてほしいと思っているのは
「あなたはどれが好き?」という自分の価値観
それと同じように、相手の価値観を受け止めることの大切さです。
実は、医療の現場で働いていたころの私は「こうするべき」「なんでこうならないの?」1か0か、白黒はっきりつけたがりの性格でした。
別に怒っているつもりもないのに、「なんでそんなに怒っているの?」と言われたことは数知れず…。
学生の頃は、化学や物理にも全く興味がなかったのですが、「なんとなく」で習いだしたアロマテラピーの効果や人間の心や体への機能の仕方、メカニズムがとっても面白くってのめりこみ、深く学ぶにつれて、いろんな考えや、生き方を受け入れるようになれました。
精油がとてもたくさんの草や木、お花からできているように、
人のライフスタイルやその人が送ってきた人生も様々です。
リラックスに良いものを、ストレスに良いものを、などとひとくくりに言われがちな精油も、本来は、「その人にとって」合うかどうかがとっても大事なんです。
アロマのお仕事を始めたきっかけは・・・なんとなく
私がアロマの道に進んだのは、実は「なんとなく」がきっかけ。
専門学校を卒業した私は、大学病院に総合職として勤務することになりました。
パソコンやシステムの性能は時代と共に進化し、また何年も仕事をしていると勘所も分かり、どんどん仕事の効率が上がるように。
そんな私が行きついた先、それは
「暇だ・・・」ということ。
「私の仕事が必要になるときって、もしかしたら1か月のうち1週間ぐらいしかないんじゃないの?」
そんなことを考えだすようになったのが30歳にもうすぐなろうかという頃です。
「私、このままでいいんだろうか・・・」
病院という社会で総合職という役回りはヒエラルキーが一番低く、ずっと専門職へのあこがれを持っていたわたし。
「でも、今更ドクターにも看護師にもなれないし、、、」
不運にも当時付き合っていた彼と別れ、時間が有り余っていました。
「料理?お花?普通の女の子が好きなものには興味がないし」
なにか実用を兼ねる習い事を、と思って出会ったのがアロマテラピーでした。
それも「香りに癒されて・・・」とかではなく(!)、大学病院の教授が、患者さんのケアの一環として試験的にアロマテラピーを取り入れていたのを目にしたことがきっかけだったのです。
「アロマって病院でも使えるんだ・・・!」
「いい香りがするだけじゃないんだ・・・」
病院のことも知ってるし、アロマを勉強したら、仕事にも役立つかも!?
私のアロマとの出会いはそんなふとしたことがきっかけでした。
アロマと医療の融合に関心を持ち、どんどんのめりこむ
Aという成分が体のBに効くから、Cという風に良くなる
アロマの薬理的な部分を知るたびに「スゴイ!」と感動していたわたし。
今の協会のカリキュラムを学び、ドクターと話せるようにカラダのことももっと知らなくちゃ!と、どんどんのめりこんでいきました。
ですがアロマテラピーは個体差、個人との相性が激しく、西洋医学のように「この症状にはこのパターンで」というものが通用しないことも非常に多かったのです(西洋医薬も万人に効くわけではないですが)。
「なんで!?」「どうして!?」
心の影響が大きいと、薬理だけを見ていてもだめなのか。
アロマで一時的にリラックスしても根本的に解決しないとだめなのか。
そうして、人の行動パターンや、人間関係、アドラー心理学、コーチング、対人コミュニケーションも勉強するようになりました。
効果や効能も様々で、知れば知るほど白黒はっきりしない、アロマテラピーの世界。
気が付けば人の体や心のことを深く学ぶようになり、それはずっと「こうしなければなならない」「こうあるべき」と生きてきた自分自身を見つめ直すきっかけになりました。
脳梗塞で入院!!私に訪れた転機
アロマの先生として独立して11年後
「頑張って売上を上げなきゃ!」と祝日以外は休まないような生活を続けているときに起きた災難が脳梗塞でした。
あれ?手がうまく動かない?(おかしいな・・・)
あれ?ろれつが回らない?(・・・やばい!頭だ!!)
「あ、これ死ぬかもしれない・・・」
そう感じた時、全身にものすごい鳥肌が!!
「死ぬのは怖い・・・!!半身不随・・・???そんなの嫌だ!」
ブワーーーーー!!!!!!っと恐怖に襲われたことを今でも覚えています。
病院へ運ばれたら、即入院。
「明日は必ず来るわけじゃないんだ。今日と同じ明日が続く保証なんてどこにもない・・・!」と痛感した時でした。
こんな大きなトラブルも、アドラー心理学で学んだことや、仲間の存在のおかげで、自分自身に起きた出来事の解釈のしかたを客観視することができ、本来精神的にすごく落ち込むであろう時期を乗り越えることができました。
また、「ただがむしゃらに頑張るのではなく、自分で自分を満たしてあげなければ、周りの人を幸せにすることなんてできない。」と痛感し、生き方を大きく考え直すきっかけにもなりました。
押さえつけられていつも「なんで?」と感じていた子供時代のこと。
話を遡ると、もともと小さいころから、なんでも思ったことを口に出し、正論を言ってしまうような子どもでした。
思い出すのも本当は嫌なのですが、この思ったことを「口に出してはいけない」と、押さえつけられて育ってきたんです。
その理由は親族でした。
小池家の血のつながりを大事にしないと!
正月は本家に集まって宴会をして!
何かと「本家」「本家」と、しきたりにうるさかった親族。
母は嫁いできた立場だったので、余計に気を使っていたと思います。
わたしはいつも「いい子にしてなさい」「ちゃんとしてなさい!」としつけられていました。
「子供を見ているというより、親戚の顔色を窺ってわたしと接しているな」
子供心にそう感じていました。
今でこそ母親の気持ちも分かりますが、当時は押さえつけられて、押さえつけられて、押さえつけられて・・・そんな風に感じていた幼少期でした。
きっと、「なんでそうなっているの?」「どうして?」と、当たり前のような物事にも「?」という視点を持つようになったのは、こうした経験が大きいのではないかと思います。
本当は思い出したくないこうした過去も、人の心理を深く学ぶことで、正面から向き合い、こうした感情ともうまく付き合えるようになりました。
「こうあるべき」から「こんな考えもあってOK」に
アロマを入口に学び出した、体への効能、機能の仕組みや、併せて学んだ心理学やメンタルのこと「なんで?」「本当はどうなの?」という、いつも私の中で生まれるこの問いかけは、きっと自分のことをより深く知るために勉強していたんだな。と。あるとき気づいたのです。
知れば知るほど一般論とは異なる考えが見つかるアロマの効能や、九死に一生を得た経験が、「こうあるべき」という私を「こういうこともあってOK」という風に変えてくれました。
多面的な見方を受け入れるようになったおかげで、日々のライフスタイルも随分と軽やかになりました。
もしあなたが、外の世界に何か決まった答えを探しているのだとしたら・・・
その答えが得られたら本当に満足できるのでしょうか?
私は、「答えはあなたの中にしかない」と思っています。
選択肢は無限にある中で、「私はこれがいい!」と言える人
もちろん、その分他人の価値観も認められる人
そんな人を増やしていきたいという思いでお仕事をしています。
嫌なものは嫌でOK
全員と仲良くしなくてもOK
そもそも人に優劣なんてないですしね。
その考えをさらに後押ししてくれたのが写真です。
写真を学んだときに、アロマテラピーと一緒だなと思ったのが、正解がないことでした。
好きな写真は人それぞれ
どの撮り方が正解かなんてないんです。
明るい写真が好きなひとがいたら
暗めの写真が好きなひともいるし
被写体に近づいた寄りの写真が好きなひとがいれば
離れている引きの写真が好きなひともいる
こんなにも自分の価値観が表れるものはないと、ものすごい衝撃を受けました。
人生の主演女優になる
ラベンダーはリラックスにいい風邪対策だったらユーカリがいいよねというように、この精油はこんなときに、とか、こんなときはこの精油と言われがちですが、それはその精油が持つほんの一面でしかないように
わたしってこういう人だよねってあなたが思っている部分も、あなたというひとのほんの一面でしかありません。
まわりの人から言われる、あなたってこういう人だよね、も、然り。
一本の精油にさまざまな可能性が秘められているのとおなじように、わたしにもあなたにもいろんな可能性がある。
写真撮影をしていると「わたしじゃない人が写っているみたい」と言われることがありますが
そこに写っているのは、あなた以外のだれでもないんです。
わたしってこんなふうに笑うんだ!こんな表情するんだ!っていうのは
リラックスにいいと思っていた精油が肩こりにも使えるんだ!
っていうのと同じようなものって言うのは表現がおかしいかもしれませんが…わたしはそんなふうに感じています。
こうじゃなきゃ
こうあるべき
こういうものだよね
と、決めつけず、自分自身を最大限に活かして自分を楽しんでほしい。
脳梗塞を患ったからこそ、誰かの人生の登場人物としてではなくて、自分の人生の主演女優として生きたいと思ったし、そんな人が増えたら嬉しいです。
このnoteでは、アロマのこと写真のことはもちろん、人生の主演女優として生きると決めたわたしの気づきなどもシェアしていけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
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