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「面白い」と本当に「おもしろい」

 色々考え方はあると思うが、一応書き残しておく。あくまで自分の考え方です。
 「面白い」と本当に「おもしろい」は違う。とかなんとか言っている人がいて、この二つの違いは前者は直感的な、即時的なものを指し、後者は出た時はそうでもなかったけど後からじわじわ効いてくる、直感的には面白いものではなかったけど、その行為や事象の価値が知られ認められて本当におもしろくなった、というもの。僕は、前者のようなジャストアイデア的に面白いと言ってしまうのも大事だし、たまるコンテンツのように今は面白くないかもだけど、後々効いてくる面白いもありだと思っていて、読書という行為ははまさにそれの繰り返しだろう。
 本屋で買った時は興奮しているから面白そう。いざ自分の家の本棚や机に置くと途端につまらなくなる。でも忘れた時にパッと開くとやっぱり面白い。うつろですね。SNSのような情報の流れが早いところでは前者が特に大事にされて、使い古された言葉を使うと「ウケる」が消費のオンパレード。それはそれで一つの生き方・過ごし方なんじゃないかと思うけど、僕はそれだけだと寂しいと思う。反対の、するめを噛むように味が出てくる、というのは少し汚い表現なので好まないとして、筋肉を鍛えることの面白みに例えたい。筋肉量は短期間では微々たる量しか変わらないが、本人しかわからない筋肉の感じ(筋力発揮とでも呼ぼうか)は行為の積み重ねによってどんどんと良くなっていく。筋力発揮の感覚がわかると、ウエイト(重り)をあげることにとどまらず、走ること、飛んで、歩く時にも「筋肉が効いている」感じから離れられない。それが体の一部になるのだ。それは一言で鍛える身として「面白い」「気持ちいい」と言える。読書もマラソンも筋トレも同じ面白い行為であり、なぜか、それらは全て「孤独」だ。不思議だね。


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