あるデブの決意

3か月前から、ジムに通っている。もちろん、目的は一つ。ダイエットだ。30代も半ばに差し掛かり、周りのオネエサマ方が言っていた「年を取ると痩せにくくなる」という嘆きを、余裕の笑顔で「そうなんですかー」と聞いていた20代前半の頃の私よ。耳をすませ。あれはマジだ。10代後半くらいから、自分はどこかで年を取らないんじゃないかと漠然と思っていた。馬鹿である。いくら不条理な世の中でも、時間だけは全人類に平等に流れることを、私は知らなかったのだ。いや、わかっていたけど、わからないふりをしていた。だから、ハタチになったとき、心底びっくりした。永遠の10代と思っていたのに、成人式を迎えることとなったからだ。成人式には出席しなかったけれど、親の願いから、着物を着て写真を撮った。20代はあっという間に過ぎ去っていった。そしてその倍速で、現在30代が進行している。私は基本的に生まれたころから太っているが、小学校3年生のとき、大嫌いなクラスメイトに「デブ!」と言われたことを機に、スリム体型へと変貌を遂げた過去を持つ。痩せて変わったことはただ一つ。異性からの視線だ。そう、いわゆるモテである。人生には、どんな人であっても3度はモテ期があるという都市伝説があるが、それがもしも真実なら、確実に1度目は11歳~12歳にかけてだったろう。小学校の卒業アルバムに映る私はとても可愛い。しかしそこから、中学生になって迎えた思春期で、食べても食べてもお腹が減るという怪奇現象に襲われ、その現象は高校を卒業するまで続いた。3キロ前後の変動はあっても、それ以降、だいたいデブの数値をキープし続けていた。しかし19歳、安室奈美恵が スイートナインティーンブルースで「1番旬なとき」と歌っていた年に差し掛かった頃。私は、自身が通う美容専門学校で人生最大の恋に落ちた。それはまさに雷のようで、彼を好きになるのにおそらく0.1秒もかかっていない。見る間に、およそ2週間で体重が5キロ落ちた。何もしていないのにだ。恋煩いで食欲が皆無となり、文字通り何も喉を通らず、若さも手伝ってか体重はみるみる減っていった。すると、人生2度目のアレが来た。そう、モテ期である。小学校の時のそれとはまた違い、大人になりかけの19歳のモテは凄まじかった。5対5の合コンでは5人中4人が私目当てだと残りの1人である合コンの主催者であった男の先輩に言われ、電車の中で唐突に知らない男から電話番号を渡される。道を歩いていてもすれ違いざまに「うわ、かわいい」と男子二人組に言われ、夜の街でのナンパは日常茶飯事となった。その頃の写真に残っている私は間違いなく可愛い。しかし残念ながら、専門学校を卒業するころに、人生最大の恋は終焉を迎え、それを合図にまた、体重はデブの数値へとものすごい速度で駆け上がっていった。数字は上昇したが、女としては下降した。だから専門学校の卒業アルバムに映る私は醜い。かわいいのかの字もない。デブスの部類に属する。体重の増減がこれほどまでに人間の容姿を変えてしまうというのは、ドウーンドウドウドウ、ドウーンドウドウドウ!の音楽でお馴染みのあのCMで証明されているだろう。そして現在、30代前半最後の年に、私は決意する。まさか自分がこの年齢まで独身で、子供のいない人生を歩んでいるなんて夢にも思っていなかったが、現実はどんなに厳しくとも受け入れるしかない。もしも願いが叶うなら、吐息を白い薔薇に変えるよりも、30代後半で結婚し、子供を産みたい。可能ならば、3人産みたい。三つ子でも可。少し話が逸れたが、私の周りの出産経験者は、やはり妊娠中、当然ではあるが体重が増加し、突き出したお腹に似つかわしい体型となった人が多数だった。もともとスリムな子は普通体型に。普通体型の子はおデブ体型に、といった具合に。では、おデブ体型の私が妊娠したら、一体どうなってしまうのか?相撲取りである。いや、力士の方々はいいのだ。仕事で太っているのだから。しかもあの中身はほとんど筋肉だというじゃないか。引退すると皆、揃いも揃って痩せていく。残念ながら私は、職業・相撲取りではない。だからまずい。非常にまずい。太っていていいことなど何もない。まず、着たい服が着れない。異性にモテない。動くのがしんどい。見事な三重苦である。だから私は決意した。絶対に痩せてやると。そして、最寄の駅近くにできた今流行りの「暗闇サイクリング」ジムに入会した。月額12600円。薄給の私には痛い出費であったが、腹の肉を手で掴み、そんなことも言っていられないと自身を奮い立たせた。なんとも嬉しいことに、暗闇で自転車を漕ぎながら大音量のクラブミュージックに合わせて腕立てや立ちこぎなど、様々な動きをするそれは、とても性に合っていた。若い頃は週末になると渋谷や六本木のクラブに出かけていた記憶が蘇り、血湧き肉躍る。ジム通いは生活の楽しみの一つとなった。しかし現実はそう甘くはない。生まれてこのかた、基本的に太っている女の、生活習慣はそう簡単に変えられるものではなかった。仕事が終わって、一度家に帰り、着替えてジムに行く。1回のレッスン時間は30分。慣れてきた私は、30分だけでは物足りなくなり、2か月前から1日に2回、レッスンを受けるようになった。レッスンを終えてクタクタの状態で帰路につき、すぐにシャワーを浴びる。運動後は吸収率が高まっているので、意識高い系の女子は、夕飯は食べずに1日を終えるだろう。ジムでもそれを推奨していた。しかしそれを出来る精神の持ち主であったなら、私は34年間、ほとんどの時間をデブで居続けていないだろう。シャワーから出て、テレビをつけるとだいたい21時。1度は我慢を試みる。しかし、どうしてもお酒が飲みたくなってしまう。"1杯くらい、いいでしょ"。悪魔の囁きに従ったら最後、我慢していた食欲が、いっきに破裂、暴走する。冷蔵庫にあるありとあらゆる食材を鬼の形相で引っ張りだし、乱暴に調理する。その欲に塗れた姿はおそらく化け物以外の何者でもない。時計の針は22時を過ぎている。実際に料理が口に運ばれる頃には22時半。腹が満たされる頃には23時。1杯では到底済むはずのないアルコールと満腹により、睡魔が襲ってくる23時半。そのままベッドに横になり、意識を失う。朝、テーブルに散らかった食物の残骸を見て、世界に絶望する。また、やってしまった。恐る恐る体重計に乗ると、見たことのない数字を叩き出していて思わず芯から目が覚める。そう、私はこの、ジムに行った後の深夜の暴飲暴食を繰り返し、ジムに通って痩せるどころか、なんとこの3か月で4キロも太ってしまったのだ。ジムは今月いっぱいで退会する予定だ。もう月末なので、後1日の辛抱だ。なんの辛抱だというのだ。やはり私も、ドウーンドウドウドウ、ドウーンドウドウドウ!に世話になるしかないのか。その前に、この弛んだ精神を叩き直さないと、どこにいっても結果は同じだろう。これじゃ妊娠してないのに相撲取りだ。両国の門を叩くか、胃の切除か、滝行か、それとも・・・。「ダイエット 短期間 10キロ」とインターネットで検索する日々が、再び幕を開けた。「短期間」としているところが既にデブの考えという意見は、無視させてもらう。
―完―

2019.07.26


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?