トイレの神様

美容室が嫌いだ。これでも一応、元美容師なのに、である。自分が働くのと客として来店するのではだいぶ違う。指名したいほど良いと思う美容師に出会わないので、いつも指名はしない。そうすると、だいたい毎回「初めまして」から始まる。これが嫌だ。初対面の人間に、「今日、お休みですか?」、「お仕事何されてるんですか?」等、さして興味もないであろうにあっち側からすれば接客中の気遣いとして、プライベートなことを詮索される。私があっち側にいたころは、スタイリストではなくアシスタントだったため、シャンプーやカラー塗布、パーマの補助などの最中に、場を和ませる役割として、初対面の客や常連客と話しをしていた。一日に何人も接客するので、客とした会話は一日の終わりにはほぼ覚えていない。日曜日など特に忙しい日は、その日に接客した客の顔すら覚えていなかったりする。しかしあっちからすれば自分が初めて来店した店のアシスタント、もしくはいつも来ている店のアシスタントという認識なので、結構覚えられていたりする。13年前、現役美容師であったあの日も、営業終わりに店の前の自販機で、飲み物をどれにするか迷いながら選んでいたら、いきなり一人の男性に声をかけられた。「おつかれさま!」と笑顔で言われ、完全にOFFモードとなっていた私は、知らない男に声をかけられたと勘違いし、「あ、はい」と小さな声で不愛想に答えたのだ。私のその様子に、男性は「あれ?」という顔をして、表情から笑顔を消し、その場を後にした。「なんだったんだ・・・」と思ってからまた少し悩んで、飲み物を決めてボタンを押す。ガシャンという音と同時に失くしていた記憶が蘇り、「あ」と声を上げた。あの人、今日の午前中にシャンプー入ったお客さんだ。結構、話盛り上がって、「今度シャンプー指名するね」って言ってもらった人だ!・・・やってしまった。あの人、私が自分を忘れてるって気づいただろうなあ・・・。心ない接客されたって思ったかもしれない。ごめんなさい。この私のせいで、店のお客さん一人減っちゃったかも・・・最悪だ。疲れた体に心労が重なってどっと肩が重くなる。私は全く別の理由で、ほどなくして美容室を退職したため、そのお客さんがリピートしてくれたかどうかは永久に不明なままだ。もしかしたら、自分がそういう接客をしていたから、美容室が苦手になったのかもしれない。もともと、美容師を志していた時期もあるくらいなんだから、自分が美容師になる前までは、むしろ美容室に行くのは好きだったはずだ。美容師の魔法によって、鏡の中の冴えない自分が可愛く変身する。きれいにセットしてもらった髪を早く誰かに見せたくて、褒めてもらいたくて、思わず帰路につく足取りが軽くなる。そういう、夢のような場所だったはずだ。そんな場所がいつからか、行かなくて済むなら行きたくない場所に成り下がっていった。そして昨日、指名はしないけど3回通った美容室に、もう二度と行けなくなってしまうようなことをしでかした。根本が伸びて黒くなった髪の毛は毛先の方がパサついていて、そして最近、ついに数本ではあるが、顔周りの髪に白いものが混じるようになった。最初は目に見える老化現象に心が拒否反応を示し、見て見ぬふりをした。だけど髪を結ぶたびに、暗めの茶色い髪の中に一筋の白い光が差すのを、眩しすぎて無視することが出来ずに毛抜きを使って根本から引っこ抜いていた。そいつとおさらばして安心したのも束の間、しばらくして一筋だと思っていた真っ白い光が幾筋かあることに気づいた。もうここまできたら認めざるをえない。いくら若ぶろうとも、事実、私は30代半ばの大人の女なのだ。友達の中には20代後半から白髪染めをしているという者もいる。それが、ついに自身の身にも降りかかってきたというだけだ。認めろ。認めるんだ。あと5年もすれば立派な中年のおばさんだという事実を。死にたい。うそ。ほんとは生きたい。30歳を過ぎてから目じりや額にうっすらとしわが浮かぶようになった。目じりの下あたりにそれほど目立たないが肝斑と呼ばれる薄茶色のシミができた。だけど白髪とは無縁だった。最近では、近藤サトさんを始めとしたグレイヘアーという白髪を染めずにそのまま生かしたヘアスタイルが50代や60代くらいの女性の間で流行しつつあるらしい。だけど私はまだ30代だ。しかもギリギリではあるがまだ前半戦だ。美容師に、「カラーはどんな色にします?」と聞かれ、清水の舞台から飛び降りる思いで「実は、最近白髪を発見したので、白髪染にしてもらいたいんですけど・・・」と言った。美容師は、「え、そうですか?まだ全然目立ってないんで大丈夫だと思いますけど。じゃあ、一応、白髪も染まるやつにしますね」と軽妙な返事を寄越す。彼ら美容師からすれば、来店する半数かもしくはそれ以上の客は普通に白髪染めなのだ。カルテに私の年齢は記載されているはずだし、年齢的にはやっていてもおかしくない。だけど私はまだ、自分が確実に老化の一途を辿っているという事実を、受け入れきれないでいる。そこまで「若さ」に価値を置いているのか?若さは確かに素晴らしい。それだけでエネルギーに満ちているし、何より希望に溢れている。しかし日本における男性のロリコン信仰を、心の底から嫌悪していたのではなかったか。「女は若い方がいい」という既存の価値観に、疑問を抱いてきたのではなかったか。なのになぜ、私は若さに執着し、老化を否定しているのであろう。年のいったタレントやモデルが、ヒアルロン酸やボトックスを打ちすぎて、顔が不自然にパンパンになっていたり表情筋が全く動かない状態を、「必死だな」と鼻で笑っていたのは羨ましさの裏返しであったのか。40代、50代、60代と年を重ねても、年相応に自分なりにキレイでいたいと思う。死ぬまで女でいたいし、お洒落だってしたい。しかしそこに「若さ」は必ずしも必要ではないだろう。たまにハタチの女の子がするような恰好をしているおばさんがいるが、あれは全く見苦しい。逆に老けて見えると思う。しかし彼女たちも、「若さ」に執着するあまりの結果としての姿なのかもしれない。そう思うと、あれは他人事ではないのだと恐怖を感じた。自分は34歳で、決してハタチではないのだということを、きちんと鏡と向き合って実感として落としていこう。それは決して諦めではない。新たなるステージへの旅立ちだ。大人の女性としての美しさを、探求していけばよいのだ。自分らしさを失わずに。などと考えていたら、腹に違和感を覚えた。じわりと額に汗が滲む。家を出たとから、危ないとは思っていた。午前中にジムに行って、大量発汗したことにより水分不足を引き起こし、よりによって900mlのアイスコーヒーを一本飲み干した。あれがまずかった。家から15分ほどの距離にある美容室まで向かう道中、腹に鋭い痛みが走った。「まずい・・・でもトイレに行ってたら時間に遅れてしまう・・・」だけど非常事態であったし、遅れそうなら電話をすればよいと思って、駅ビルに立ち寄ろうとした。だけど駅まで向かうために右折したあたりで腹痛は治まり、「大丈夫かも」と自分に言い聞かせ、やはり遅刻はよくないと、踵を返した。あれがすべての始まりだった。自然の摂理に人間は逆らえない。冷房の効いた美容室で、私は再び腹痛に襲われた。カラー剤を全頭に塗りたくった状態で。私を担当した美容師は、私の2席となりで接客中だ。客は常連らしく、話がとても盛り上がっている。他に2人いる美容師も接客中・・・。6席しかない小さな美容室で、ここで立ち上がり、「すいません、お手洗い貸してください」という勇気はなかった。冷房が効いて少し寒いくらいなのに、脂汗が額に浮かぶ。どうしよう・・・予約してたトリートメントはパスして、流してもらうだけにするか?だけど髪傷んでるし、ほんとはトリートメントしたい。じゃあ、やっぱり今言う?いやだ、恥ずかしい。美容師は全員男だ。お客さんにも男がいる。このタイミングで立ち上がってまでトイレに行ったら、大小どちらをしに行こうとしているのかバレてしまうかもしれない。やっぱり無理だ。でも・・・と繰り返し悩んでいる間も波のように腹痛は私を襲撃してきた。だけど全部、この事態を招いたのはすべて、自分のせいだ。誰も責められやしない。早く、早く流してくれ頭を・・・。常連客と担当美容師がポケモンの話で盛り上がっていて、途端に殺意が芽生える。私の尋常ではない量の汗や土のような顔色には微塵も気づいていない。話しかけられるのを阻止するために、貪るように読んでいた雑誌が内蔵されている店のアイパッドも、読んでも内容が全く頭に入ってこなくなってしまったから、さっきから鏡の前に放置しているというのに。ちきしょう。あいつがスナックのママだったらそんな店一年も持たずに潰れるに違いない。ママは一人の客と話していても店全体に目を行きわたらせていないといけないからだ。客が不快な思いをしていないか、接客中の店の女の子がセクハラされていないかなど、360度回転で見ることができるのが立派なママである。だからお前はママにはなれない!!と、何の罪もない、自身の仕事を懸命に頑張る美容師に、心の中で意味不明な八つ当たりをする。意識が遠のきそうだった。もしくは最悪の事態、ここで漏らしてしまいそうだった。なのに、美容師がその常連客の全頭にカラー剤を塗り終え、「少々お待ちください。お待ちの間、お飲み物をご用意しているのですが・・・」ともうすぐ私の元へ戻ってくるのは明らかで、さらにお茶を準備して常連客の前に置き、私の元に戻ってきた第一声が「お手洗いは大丈夫ですか?」だったのに対して私は、「大丈夫です」と答えたのである。「ですか?」の「か?」に少々かぶり気味な早さでもって。馬鹿なのか?私はやっぱり馬鹿なのか。なぜ、全然大丈夫じゃないのに大丈夫だと言った?「足元お気をつけください」という美容師の言葉を聞きながら立ち上がり、シャンプー台まで移動する数十秒、自分を呪った。パブロフの犬だ。いつも、美容師から何かを聞かれても「大丈夫です」と答えているから、ついいつもの癖で、そう答えてしまった。椅子に座って、椅子を倒され、顔に布を掛けられる。体がほぼ寝ている状態になったとき、本当の限界がやってきた。カラー剤を流され、シャンプーをされる。本来なら、人にシャンプーされるのは至福の時だ。美容室が苦手な私でも、この時間だけは好きだ。なのに、それなのに、まるで地獄だった。時間が止まればいいのに、普段ならそう思う時間が、倍速で過ぎ去ってほしい時間へと早変わりした。「おかゆいところはございませんか?」と「No」という返事が決まりきった型式的な質問をされて、私は聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という、本来の意味とは少し違う諺を頭に思い浮かべ、「あの・・・お手洗いお借りしてもいいですか?」と、布越しに美容師に訴えた。「え?」表情は布で見えないが、あきらかに戸惑っている声色である。「このタイミングは、無理でしょうか?」顔に布がかかっていて本当に良かった。私はその時、必死の形相であったに違いない。そんな顔見られたらその場で自害してしまいたくなる。「大丈夫ですよ」神かと思った。今の私にとって、この言葉以上に聞きたい言葉はない。好きだとか愛してるなんて言葉は生きる上では不必要であることを身をもって知る。ただ、「大丈夫」と言われたい。美容師はトリートメントに移ろうとしていた私の髪を拭き、そのタオルで頭を包み、私の身体を起こしてくれた。「こちらです」とトイレに案内され、鍵を閉めた後の個室で行われた行為は、ここでは省略するが、それはまさに、地獄からの追放及び天国への階段であった。もういい、美容師にどう思われたって、他のお客さんにどう思われたって、こんな幸せを手に入れられるのであれば、私は私の持つすべてを投げうってやろうではないか!!という気持ちでトイレの鍵を開けて外に出る。シャンプー台の前で気まずそうに、美容師が微笑んで待っていた。「すみません、変なタイミングに・・・」私も美容師と同じ表情を作りながら着席し、再び体が倒され、トリートメントが始まる。嗚呼、腹痛がないという状態は、なんと快適なことだろう。どうして私はもっと早いタイミングで、言い出すことをしなかったのだろう。たった数分前までの私がひどく滑稽に思え、笑えてくる。たかがトイレ。されどトイレ。もう一度言おう。自然の摂理に、人間は逆らえない。ただ、ここで一つ訂正したい。切羽詰まった状態において愛の言葉は不必要だが、日常をより豊かに生きる上ではやはり必要不可欠だ。とりあえず私はまた、新規で美容室を開拓しなければならない。

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