あかいイチゴ、みどりのカエル

生き物を、たくさん飼う家で育った。
それが両親の情操教育であったことは、大人になって理解したけれど、小さな頃は当たり前のように生活の中にいる生き物たちと、ただ共に暮らした。
金魚、インコ、ザリガニ、亀、メダカ、おたまじゃくし・・・。わかりやすく犬や猫を飼わなかったのは、なぜなのかはわからない。同じ社宅に住む人たちの中には、犬や猫を飼っているお宅も少なくなかった。
社宅の狭いベランダにはイチゴの苗やトマトの苗を植えて、育ったら食べた。夏休みには自由研究の課題としての朝顔が仲間入りし、観察日記をつけた。生き物や植物が常に傍にある。それが、我が家の“普通”だった。

あれは確か、私が小学校二年生の時の出来事だったように思う。私には二歳年上の兄がいて、毎日我が家が静かになる瞬間は寝ているとき以外に一秒もないくらいに二人でよく喋り、よく遊び、よく笑った。
その日は、兄がクラスの友達を家に連れてきていた。テレビをつけて、繋いでいるゲーム機を起動すると、兄と友達はテレビ画面にくぎ付けになり、手に握ったゲームのリモコンをカチカチとせわしなく動かした。お母さんが買い物に行く前に用意してくれたジュースとお菓子にも目をくれないほど、二人はゲームに夢中だった。私はゲームよりお菓子やジュースが好きだったから、オレンジジュースを口に運んでチョコレートを齧ってテレビ画面に目を向けるという、それなりに忙しい時間を過ごした。
私は常に兄の後ろをついて回っていた。外で遊んだり、友達の家に一緒についていったりすることも多かったけれど、今日みたいに兄が友達を家に連れてきてくれる時は至福の時だった。自分が世界で一番安心できる空間に、大好きな兄がいて、兄が大好きな友達がいる。敵が一人もいない空間で、ふたりが「やったー!」とか「くっそー!」とか言い合っている光景を眺めながら口の中を甘いお菓子とジュースで満たすのは、これ以上ないほどの幸せだ。人は自分が満たされていると誰かにその幸せを分けたくなる生き物らしい。幸福に包まれたその空間で、私はもうひとつの大切な存在を思い出した。正しくは、もう一匹。そう、おたまじゃくしの頃から育てていて、今はカエルとなった存在、ケロリーナだ。カエルになったといってもまだなり立てであるケロリーナの体長はおよそ3センチ。色は薄い黄緑いろ。お母さんがスーパーで買ってきたイチゴが入っていた透明のパックをきれいに洗って水を張り、ラップをかけたやつを住処としていた。尿意をもよおしてトイレに行くみたいに、かき氷を一気にたくさん食べようとして頭がキィンとなるみたいに、近所のおばさんに挨拶されて咄嗟に頭を下げるみたいに、リビングの棚においてあるイチゴパックの中の様子を見に行った。
瞬間、喉が千切れるんじゃないかと思うほどの悲鳴を上げた。
「どうした!?」
お兄ちゃんは夢中になっていたゲームを放り出して、私の元にすぐさま駆け寄った。
「ケ、ケロリーナが、いない」
私の言葉にお兄ちゃんの視線はケロリーナの住処であるイチゴパックに向けられた。住人がいなくなったそれを見たお兄ちゃんの顔が、みるみる青ざめていく。その色は少しだけケロリーナに似ていた。私は堪えていた涙を我慢できなくなった。
「どうしよう、ケロリーナがいなくなっちゃった」
泣き声でお兄ちゃんに訴えるが、彼は意外にも冷静だった。
「とにかく、探そう」
一緒にゲームをしていた友達に、手短に事情を話す。
「じゃあ、一人モードに切り替えるね」
友達はすぐさま状況を理解し、一人で遊んでいてくれた。トイレ、お風呂場、子供部屋、押し入れ、玄関、ソファの裏・・・。思い当たるところはすべて探したけれど、見当たらない。「どうしよう、ケロリーナ、死んじゃったら」
泣いているせいで言葉がぷつぷつと途切れてしまう。ふいにベランダの窓に目をやると、窓は空いていて、網戸にも5センチほどの隙間があることに気づいた。二人の視線は同じ方向を向いている。兄は、網戸を力強く開けた。私はいつものように兄の後ろから顔を出し、イチゴの苗や洗濯物で彩られたベランダの床に視線を落とした。
ポーン、と軽快な音が鳴りそうな勢いで、ケロリーナがベランダの柵を飛び出し、宙を舞った。兄も10センチくらい上の高さから、全く同じ景色を見ていた。
「「ケロリーナっっ!!!」」
二人の声が重なった。まだ声変わりするまえの兄の声は、私の声よりも高くて、兄がソプラノ、私がアルトでハモっているようだった。急いで玄関の扉を開けて、階段を駆け下りていく。社宅にエレベータ―は無かったし、もしあったとしても、エレベーターを待たずに私たちは階段を駆け下りただろう。急ぎ過ぎて足がもつれそうになりながら、必死で一段一段、小さな足を前に踏み出した。ケロリーナが飛んだ位置にある地面は芝生になっている。ケロリーナの無事をひたすら祈りながら、全速力で芝生まで駆けていく。
「ハアッハアッハアッハアッ」
まだ7歳と9歳の、小さな心臓が速度を上げて、それぞれの呼吸を乱した。芝生に到着して地面に視線を下すと、芝生と同じ色をしたケロリーナが、茶色いマンホールにまるで今そこで生まれたみたいにびたーっと張り付いていた。生きている。姿を確認した瞬間、私は声を張り上げた。
「いた!!兄ちゃん、ケロリーナ、いた!捕まえよう!!」
ケロリーナはマンホールの上で、じいっと動かないまま、それでも小さな身体を上下して確かに呼吸していた。まるで命そのものを体現しているようだった。
「・・・いや、このまま、逃がそう」
兄の返答に、耳を疑った。おたまじゃくしの頃から飼っていたケロリーナ。毎日餌を与えて、おはようもおやすみも、必ず声をかけていたケロリーナを・・・逃がす?混乱して昔飼っていた金魚みたいに口をパクパクさせている私に、兄は続けた。
「ケロリーナは自分の意志で、家を出ていった。きっと自然に帰りたいんだよ。だから、見送ろう」
引っ込んでいた涙が、また勝手に顔を出す。だけど、同時に蝋燭の火がぽわっと灯ったみたいに、心は温かくなった。それは、いつもお母さんが私を抱きしめてくれるときの感覚にとてもよく似ていた。
「うん」
私が頷くと、ケロリーナはまるでその返事を待っていたみたいに、ぴょん、とマンホールから飛び跳ねて、自分と同じ色の芝生の中へと消えていった。
兄の目には涙がにじんでいたけれど、必死にそれが流れないように、堪えているのがわかった。私から見たら10センチほど身長が高いその身体でも、大人に比べたらどうしようもなく細く小さく頼りなく映るのだろう。私たちはあくまで親に守られた存在で、未熟で幼く壊れやすい。でもきっと大人よりも、誰かを純粋に愛するという力に長けている。それは強さと言い換えることもできるはずだ。
お兄ちゃんは、家への階段を上りながら、小さな身体で一歩一歩、大切なものとの別れを少しずつ身体に刻んでいるみたいだった。4階までの階段を登り切って玄関の扉を開けると、「どうだったー?」と呑気な声を上げた友達に、「大丈夫、続きやろ」と言ってゲームを再開した。
私はとにかく心臓がどきどきしていて、それは4階までの階段を上がって来たからなのか、強く冷静な兄に対してケロリーナともう会えないんだと思うだけで引っ込んだ涙がすぐにまた顔を出してしまう赤ちゃんみたいな自分が恥ずかしくなったからなのかはわからない。涙を我慢するために、右手で左の二の腕を強く抓ったら雪見大福みたいな白い肌がじんわりとあかいイチゴ色に染まった。ケロリーナが暮らしたイチゴのパックは、薄く敷かれた水面にカーテンの隙間から差し込む夕日が照らされて、きらきらと輝いていた。


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