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学びについて考えた

1ヶ月ほど前の自分の悩みのひとつに「自分の能力以上のプロジェクトを作れない」というものがあった。漠然としたやりたいことのアウトプットイメージはあるのだが、自分のできることで完結できるような進め方になってしまい、最終的に満足感や成長実感がない、というものだ。
先日、知人に相談した際に「自信がないと学べない」と言われて、「そもそも"学ぶ"とはなにか?」という問いについて議論した。知人の意見が"学ぶ"について学び、考えを展開する上で参考にしたいと感じたので、思考の整理のために今回のnoteを書くことにした。


「学ぶとはなにか」の結論

知人との議論では、以下の二点が"学ぶ"に重要そうとなった。

1. 学ぶとは、「自分の範囲を超えること」
2. 自分の範囲を超えるには、「”開く”を”拓く”こと」

この2つは同じことを言っているようだが、私はまだイメージがつかないので、あえて切り分けて考えてみようと思う。

自分の範囲を超えること

学ぶためには、自分の範囲の外にある”なにか”がそこにあることを認めることが必要だ。しかし、知らないものの存在を認識することは難しいし、自分が「知らない」と認めることも難しい。

この図では、自分の範囲の外にあるものを自分の中に取り込んでいる。これは自分の範囲を超えたことにはならない。論理や枠組みだけ学んでも、理解はできていない。例えば「チェーンストア理論」の論理を本で読んだ人は、サイゼリアの会長と同じものを見ているだろうか?

自分の範囲を越えるには”開く”を”拓く”こと

自分の範囲を超えるには、常に開いた状態である必要がある。
自分の範囲の外にあるものの話を、一旦きいてみる。人の話を遮らず、肯定し、きき続ける。
自分と人の違い自体を楽しむのである。知らないことにこそ価値があって、知らないものがあればあるだけ世界は広がり続けると思っている。

自分の範囲の外にあるものと対峙したとき、五感を開いてきくことで、相手の世界観まで自分を広げる。対象を「わかるからわかる」のではなく、自分自身が広がって初めて「わかるかも」になるのではないだろうか。そのためには違いを楽しんで、肯定から入って、きいて、訊いて、言葉だけでなく感触で受け取って、その人の感覚をインストールするのが早い。

あなたは「空海」に興味があるか?

例えばこのような質問を受けたとしよう。
空海に興味があるかないかと問われれば、特に私は空海には興味がないと答えるだろう。
しかし、この答えでは自分の範囲内に留まることになる。

あなたは空海のどのようなところに惹かれているのか?それはなぜか?あなたの目には空海の”なにか”はどのようにうつっているのか?

これを知るために、一度黙って話をきく。その感覚の人と一緒にいることで、その人が世界を見るように自分も世界を見て、少しずつ範囲を広げていく。

最後に

「学びについて考えたときに書いたメモ」の内容を少しいじって今回のnoteを書いてみたが、想像以上に発散してしまいよくわからない文章が生成されてしまった。

また、自分が考える「学び」は、自分が「一人旅」に感じている価値と近そうだと思ったので、その件については次回に書いてみようと思う。

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