無題75

ヨーガスートラ第1章(三昧)ノート その9

前回3つの”グナ”。サットヴァ(純粋性) ラジャス(活動性) タマス(非活動性)が様々な配合比率の組み合わせをしていく中で、物質から精神まで「23の領域」が作り上げられます。
と説明しました。

もちろんチッタ・・・ココロというものも、この3つのエネルギーの組み合わせから成立しています。

なかなか次のフレーズにたどり着けませんが、今回はちょっと脱線。
”グナ”をもうちょっと理解するために
「状態としての5つのココロ模様」
というものをみていきましょう。

1000人いれば1000人のココロの有り様があるし、たった一人のなかでもココロはずっと変化し続けます。

いつもフラットに安定していたりとか、ビシっと動かないココロの持ち主に出会ったことってありますか?

たぶんないと思います。
ココロはその”本質”としてたえず揺れ動いているし、周囲の出来事によって玉虫色に変化します。

ニホンジンは、古来(あくまで古来の日本人ですが。。。)すべては「変化とともにある」ことに慣れているから、ココロに”中心”とか”主客”を見出そうとしません。

「ほんの出来心」や「水に流しましょうや」というコトバにあるように、そういった「不安定さを許容する」ことに長けています。
いい意味でも悪い意味でも。。


対してインド人は分析とかヒエラルキーがとにかく大好きだから、ココロに関しても高い次元・低い次元という段階で区別していきます。
実に捕らえどころがないココロというものでも一応「5つの状態」にカテゴライズするんですね。


◇ココロ(チッタ)の5つの状態

① クシプタ 落ち着きのない心 

② ムーダ 惑わされた心 

③ ヴィクシプタ 散漫な心 

④ エカーグラ 一点集中の心 

⑤ ニローダ 止滅の心 

ではアーティストな気分になって、ココロというテーマで造形美術をするとしましょう。

素材はサットヴァ・ラジャス・タマスという3つのエネルギーです。
配合は自由ですが、組み合わせによって5パターンの造形を行うことが出来ます。


①クシプタ 【落ち着きのない心】
まず、”ラジャス”(活動性、興奮、情熱、欲)を多めにブレンドしてみることにしましょう。
すると”クシプタ・チッタ”というココロの状態ができあがります。

クシプタがいい現れ方をすれば、性格は活動的かつ情熱的です。
止まったら死んじゃう回遊魚のような性格だから、休暇であってもスケジュールは分刻みでびっしり。
ちょっと攻撃的で手に余るところはたまに傷だけど、前へ前へと進む力があるから、今のような経済優先の世の中では「クシプタ人格」欠かせません。

マイナスな現れ方をすれば、興奮気味で落ち着きもなく、周囲の様子が読めないタイプとなります。


②ムーダ 【惑わされた心】
では今度は”タマス”中心にブレンドしてみましょう。
すると”ムーダ・チッタ”というココロの状態ができあがります。

一日ごろごろしているだけで幸せだと感じる方はこの傾向が強いかも。
おっとりとしているとか、おだやかであるというような、印象もない訳じゃないです。
でも、この性質が強くなることを、インドでは特にマイナスとして捉えます。
タマスの質は不活発、沈滞、無感応、緩慢、暗でしたね。

もしも行動のための価値基準の奥底に不活発、沈滞、無感応、緩慢、暗が巣くっていたらどうなるでしょう?

「今日はのんびりしよっと。だって天気がいいんだもん❤」

「今日はのんびりしよっと。だって外は雨ふってるんだもんだん❤」

自分の置かれた環境に適宜感応して充実した行動を選択するのではなく、自分の内側の「不活発な部分を維持する」ための発想しかしなくなってくる。

だから「決して変われない。」「成長しない」タイプの人になります。

変わろうとしない人は総じて想像力に乏しく観念的です。
「宅の主人は。。」の玉の腰奥方みたいに、権威の意見を自分の意見とカンチガイして、「自分で考える」という行為を無意識に放棄してる人って意外と多い。

また”タマス”は重さ、つまり質量との関連が深いから、”物質主義”にも陥りやすくなる。
”暗さ”との関連も深いから、ネガティブシンキングのループにはまっちゃう人も要注意です。


③ヴィクシプタ 【散漫な心】
実生活が退屈であれば、休暇には何が欲しくなりますか?

刺激ですよね。

逆に刺激的であわただしい生活をおくっていれば、休暇には「まったり」とした麻痺感覚が欲しくなります。

私たちが求める娯楽って、突き詰めて見ていくと強い刺激か、麻痺かのどちらか。


”ラジャス”が強ければ”タマス”が欲しい。


”タマス”が強ければ”ラジャス”が欲しい。。

では”ラジャス”と”タマス”をバランスよく配合してみましょうか?
すると、とても揺れ動きやすい”ヴィクシプタ・チッタ”というココロの状態ができあがります。

この状態は、あるときは”タマス”優位 あるときは”ラジャス”優位。
時と場合により優勢が変化します。

柔軟性や対応力に飛んだ人のようにも見えますが、実は単に日和見的な性格なんですね。

柔軟な対応というのは、外部の出来事に対して、ベストの選択をチョイスできる”知性”があるということ。

この”ヴィクシプタ”が強いと、そうではなく出来事にとても流されやすい、コロコロと主張が変わるようなタイプになります。

「絶えず気持ちのいいところにいたいニャ~。」
といった気持ちが強いネコみたいな人はこの傾向がつよいかな?

④エカーグラ 【一点集中の心】
3つのエネルギーには最後の一つ。”サットヴァ”というものがあります。
清らかなエネルギー。純粋、明晰、調和、愛、平和と関連が深いとされています。

この”サットヴァ”優位のココロ状態を”エカーグラ・チッタ”といいます。
説明を分かりやすくするために、”明晰さ”にポイントをしぼって考えて見ましょう。

弓矢をイメージしてください。

30メートルくらい先にマトをおいて、矢を放ちましょう。

さて、あなたから、マトまでの間の空間。

そこに風邪がびゅんびゅんと吹いていたり、

犬がワンワンと大喧嘩していたり、

中学生が座り込んでアイス食べてたり、

おじさんが焚き火したりしていたら。。。


なかなかマトを絞りにくいですよね。


で、その空間が。。 ようするにココロなんです。


マトにたいして意識をちゃんと集中するには、障害物をぜんぶ片付けて、自分からマトまでを”すっきりした”状態にする必要があります。

ヨーガスートラの場合、そのマトとは”真の自己・プルシャ”のことです。


真の自己にたどり着くためには、私たちの中の”ラジャス”性(活動性、興奮、情熱、欲)と”タマス”性(不活発、沈滞、無感応、緩慢、暗)を弱めること。

そして”サットヴァ”性(純粋、明晰、調和、愛、平和)を優位にする必要があります。

集中というと、頑張ってマナコを緊張させて。。というイメージが強いですが、汚れた水を凝視して水底をみつけるというのではなく、水そのものを浄化すること。
そうすれば無努力でも水底をはっきり見ることはできます。

エカーグラには、一点集中の心のほかに「惑わされない 曇りのない心」という言い方もあります。

またのちほど、スートラの中で解説される”サムプラジュニャータ・サマーディ”という超越的な意識状態にも”エカーグラ・チッタ”が深く関わってきます。


⑤ニローダ 【止滅の心】
”ラジャス”と”タマス”をすっかり片付けてしまいました。

ココロの中身は”サットヴァ”性・・・純粋、明晰、調和、愛、平和だけ(笑)

十分すごいんだけど、さて。
そこからさらに”サットヴァ”性をも取り除いてみましょう。

すると、そこにはもう何もありません。その状態を「ニローダ・チッタ」といいます。

なかなか「エカーグラ・チッタ」と区別した説明が難しいのですが。。
たとえば透明な水であれば水底は見えますが、水を通して見ることには変わりありません。
これが”エカーグラ・チッタ”
水そのものが無い。水底だけがある。というのが”ニローダ・チッタ”となるのかな?

ニローダ(心が止滅した状態)では、もう思考が知性の妨げをすることがありません。
だから本質のみを見通すようになる。 
もはや本質以外は意識に映らないともいえるでしょう。

「山川草木悉皆成仏」
目に映るすべてが仏の真理であるといった実感が言葉の世界ではなく、見渡す限りの世界にありありと映し出されているような。。

啓示といったものは”ニローダ・チッタ”に降りてくるとされます。

インドに残る数々の聖典群。ウパニシャッドとかギーターは、そういった意識状態のうちに記録されたとも言われています。

マントラも同様です。
瞑想のなかで降りてきた、コトバとしての意味をもたない神聖なバイブレーション。
それが本来のマントラです。

<Ⅰ-1>
ヨーガハ チッタヴリッティニローダハ
「ヨーガとは、心素(チッタ)の作用を止滅させることである」

最終的にはチッタの働きはすべて消滅させる。つまり”ニローダ・チッタ”がヨーガの目標です。
とは言え、いきなり出来ることではありません。
現実的にはまず「エカーグラ・チッタ」を育むことから。
そのためにヨーガの練習はとても役に立つはずです。

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