ヨーガスートラ第1章(三昧)ノート その12

◇ユガ

ユガ(Yuga)は、インド思想において、循環する4つの時期からなる「時代」の名前である。

4つの時期とはサティヤ・ユガ、トレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、そして最後にカリ・ユガである。
4ユガを合わせたものが大ユガ(432万年)。
千の大ユガをカルパ(劫)といい、梵天(ブラフマー)の昼(夜)にあたる。

ヒンドゥー教の宇宙観によると、宇宙の生命は41億年から82億年のサイクルで創造、破壊される。
ブラフマー自身の寿命は、311兆400億年である。

サイクルは季節のように繰り返すと言われる。
また春夏秋冬のように、それぞれのユガは段階を持ち、徐々に移り変わって行く。
黄金時代から暗黒時代へのサイクルは、太陽系が別の恒星の回りを公転しているためだと言われる。

(参照 ウィキペディア先生)

簡単に言うと、宇宙は直線的な進化を遂げるのではなく、四つの時代を季節のように循環しているのだという考え方ですね。
その時代ごとに「人間の質」というものも変化していく。

そして現在はカリ・ユガ。残念ながら人間の質は最低レベルまで低下しているといわれています。

以前ここで
・クシプタ 落ち着きのない心 

・ムーダ 惑わされた心 

・ヴィクシプタ 散漫な心 

・エカーグラ 一点集中の心 

・ニローダ 止滅の心 

という5つのココロの状態を説明しましたが、この状態は「個人個人の問題」であると同時に、実は「時代的な問題」でもあるとされています。


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ヴェーダ聖典群の時代。
ほとんどの人間は「ニローダ・チッタ」で生きていたとされます。
思考は筋肉と同じように、使うも休ませるも自由自在。
だから真理などというものは、考えるものではなく「さっと解る対象」であったのかもしれません。

時代が下って”ウパニシャッド”の時代。

これは神秘主義の時代、「エカーグラ・チッタ」の時代とされています。
知性にはやや曇りが兆すものの、質の高い集中状態は手にしています。

真理を理解している師の傍らにいれば、師の意識が直接流れ込んでくるから、悟りを得ることはそれほど難しくないとされます。

昔ブッダが鷲頭山に座していたとき、そばにいた弟子たちがバンバン悟っていったというような逸話もありますね。

ちなみに”ウパニシャッド”というコトバは「師匠のそば座る」という意味です。

次にヨーガスートラあたりの時代。

「ヴィクシプタ・チッタ」が優位とされます。散漫な心は、物事の理解に時間をかける必要があります。
だから哲学が発展していきます。

この時代では、まず”ヴィクシプタ”を”エカーグラ”に変えていく努力を哲学を通じて行います。

知性を”サットヴァ”性に純化して、正しい推論が出来うるとこまで鍛えること。
それにより”アヌマーナ”を深めていく。
それがスートラをはじめとした経典群の研究ということの意味ですね。

そして現代。。

”クシプタ・チッタ”や”ムーダ・チッタ”が幅を利かせている時代とされます。

難しい話を前にすると

「もう訳わかんないや~。 こんな話5分で限界! もうホント限界っ!」

そんな時代では、技術というものを中心にするんですね。
実はハタヨーガ経典群(ハタヨーガプラディピカーetc)はこの時代の必要性に応じて生まれてきました。

真理がわからない?

じゃあ瞑想しよっか?

ん?

瞑想できない?

ふーん じゃあ心を一点集中で落ち着かせましょう。

えっ?落ち着かない? 

じゃあエネルギーを綺麗にしよっか?
呼吸を教えてあげよう。 
イチ吸って~ヨン止めて~

えっ?呼吸をすると何だか苦しい? 

過去のトラウマが出ちゃった感じなのね?

ふーん。困ったねえ。。

エネルギーの流れ道から整えなきゃ始まらないようだね。

まずカラダ動かしましょ。

アーサナから教えるよ~。

これ。完全に技術中心の進み方ですよね?

ハタヨーガの体系は技術なのですが、その目的はあくまで解脱にむけての階段です。
そこを忘れてしまうと、ヨーガはあっというまに単なる体操になります。

のちのちスートラの第2章でヨーガの八階梯(アシュダンガー)という修行のトリセツがでてくるので詳しくはまたそこで解説しますが。。

ハタヨーガは、まず美容とか健康に効果が出ちゃうから、本質を見失いやすいという欠点があります。

人間って見えた部分にひっかかりやすい。。

もちろん美容や健康自体には問題はありません。
問題があるのは手に入れた利益に執着してしまうマインド。

そこだけ。

ヨーガが上達するってどういうことなのか?

心が落ち着くこと。
平静に保てること。
反射的な怒りが生じないこと。
生じてもすくに消せること。

心の様々なもつれを自分でほぐしていくことによって、真実を見抜いて、虚仮から離れていくこと。

繰り返しになるけど、ヨーガとは「クシプタ・ムーダ・ヴィクシプタにある今の自分をどうにかこうにか”エカーグラ”に向けていくためにする不断の努力」のことなんですね。



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