憧れのVTuberが引退した話
はじめに
私はVTuberが好きで、ゲームや作業の裏で配信を見ることが多いです。
特に決まった推しや箱は無く、その時々で気になったVTuberを見ています。
先日、ずっと追っていたVTuberが引退(卒業)しました。
にじさんじの「出雲霞」さんです。
この方の配信はいわゆる【劇場型】でした。
全体を通してストーリーがあり、その内容も視聴者のコメントによって変化することもありました。
ストーリーの完結をもって今回の引退ということでした。
私が語りたいのは「出雲霞のストーリー」ではなく「創作者としての出雲霞」です。
こちらで創作者としての出雲霞さんが色々と語っています。(https://youtu.be/pFQ0h4Wz3Ls)
※以下、「出雲霞」は基本的に「創作者の出雲霞」として語ります。
憧れの存在
私の中で出雲霞は間違いなく憧れの存在でした。
というのも、私が夢に見たものを作り上げていたからです。
「自分の生きてきた証を物語としてコンテンツ化して、誰かの中に何かを残そうとする」
「我慢した日々が過ぎ去り、大人になってその日々が何事でも無かったことになるのを良しとしない」
そこにあったのはどうしても私が出来なかったことでした。
自分の中にあるわだかまりや矛盾をどう昇華して、どう消化させるのか。
出雲霞はその答えの1つを示していました。
(勝手で一方的な考えですが、”憧れ”ってそういうものなんだと思います)
上記の配信でデビューしてからの出雲霞の変化を感じ取れたように思えます。
当初は「現実の自分を殺してAIとしての出雲霞を残して活動を続ける」ストーリーでした。
自死の比喩と取ることもできる展開です。
それが、「現実の自分もAIの自分も出雲霞として生かす」ストーリーになりました。
本人は「そういう空気感があった」と語っていますが、それを受け入れられるような変化があったのかなと思いました。
Q.これからやりたいことは?
A.何でもできそうだなー
この答えで出雲霞の強さを感じました。
過去の出雲霞の場合、この答えは出ていたのだろうかと考えると、過去の自分をなぞることで何か得られたのではないかと思っています。
終わりに
何にでもなれるVTuberで過去の自分を演じ、過去の自分ではない自分の未来のために物語を閉じる。
「何にでもなれて何でもできる」
そんな存在であるVTuberが私は好きです。
その中で新しいVTuberの在り方を全うしてくれた出雲霞には感謝しかありません。
昨今、いろいろと騒がれることもあるVTuber界隈ですが、それも発展途上の証でもあるのかなと思います。
たくさんの可能性があるVTuberの発展の1つであったと思います。
p.s.
出雲霞の残したものは確かに私の中にあり、何かしらの形で生きていくのだと思います。
いつかどこかでお会いできる日を楽しみにしています。
本当にありがとうございました。
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