3月21日(火)のつぶやき
おはようございます。四万十は、雨。
シトシト降ったり止んだりのつめたい桜雨に、春の花もちいさくふるえてます。カエルたちは元気に歌ってますが。ぷるぷる。
天気予報は、日曜日まで傘マークのオンパレード。
菜種梅雨に突入した(やせている)川は、もりもりふとりそうです。
今日の最低気温は、10、9度。
最高気温13、7度。午後も雨。雨脚は、ときどき強まります。
過疎の川のほとりの暮らしは、自然の音に満ちていること、が気にいってます。部屋のラジオをオフにして、ベランダでコーヒー片手に、雨音や鳥、カエルの歌を聞けば、気持ちがすーっと落ちついていきます。
そしてたまに、自然の音さえ聞こえない静寂のなかに、身をおきたくなることもあります。豪州のアウトバックで、雪山の尾根などで経験した静寂(の音)は、忘れがたい良い思い出です。
それは、自然の瞑想なかに、予期せず迷いこんでしまったかのような、不思議な時間だったから。
雨空をながめるのにあきれば、下半身を寝袋に突っこんで本をひらく。雨読です。
「四万十川は水量も昔よりだいぶ減ったわなぁ。水が少ないいうことは、バラスにヨセ(ヨシ)が増えたことでわかるんよ。
昔はこのヨセがバラスにはほとんどなかった。
なぜかいうたら、しょっちゅう水かさが増えるけん、バラスは水に浸かっちょる時間がいまよりずっと長い。水の中やとヨセは生えんのじゃけんねぇ。
瀬も昔ほどきつうなくなったねぇ。早瀬が早うなくなるとどうなると思う。水は早う流れるとその中にようけ酸素を取り込むんよ。
それが流れが遅うなると、当然、酸素はあんまり水の中に入らんようになる。ただ下へ水だけが流れるだけよね。
川の中の酸素が少なくなると、魚も困るけんど、バクテリアも困るいうことになるんよ。酸素がないと、有機物を無機物に分解してくれるバクテリアの働きも活発ではのうなる。
昔は「いらんもんはなんでも川に流したらええ」という考えがあって、ようなんでも川に捨てるいうこともあった。
使うた水はきれいにして返さんといかんのに変な話や思うけんど、まっことみなで、なんでも川に捨てよったんよ。
夫婦げんかなんかしよったら、癇癪起こして、つれあいのもんをなんでもかんでも川へ落したひともおったわたねぇ。そんでも昔のほうが川がきれいかったんは、川の中に酸素がようけ含まれちょったからじゃろ。
バクテリアがなんでも分解しよって、川の浄化作用がものすごう強かったからじゃと思うわ。
こういう川の本来持っちょる力をこわしたらいかんねぇ」。
四万十 川がたり 野村春松
四万十川の水量が、昔よりへった、昔より水の透明度がわるくなった、川の幸がすくなくなった、との話はよくききますし、(フィールドが川である)僕も実感してます。
それに対して、川が(川をとりまく自然が)昔よりよくなったという話は、ザンネンながらほとんどききません。
そして、いまだに(人目につきにくい)川岸の林の斜面には、家電用品やタイヤなどが捨てられてたり、空き缶や弁当の空箱などがポイ捨てされてます。これまたザンネンです。
流域に暮らす人々にとっては、近くにあたりまえのように流れているから川だから、なかなかその素晴らしさ(貴重さ)に気がつかないのかな?と思うし、失って初めてわかるのかな?とも思うのでした(もちろん、このままじゃいかん!と保護、啓蒙活動をしている方も少なからずいますが。結果として)。
お前がいうな、との声も聞えてきそうですが・・・。自戒をこめて。
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