Wizardryと世界樹の迷宮

ゲームの紹介

Wizardryと世界樹の迷宮。この2つはともに私が好きなゲームのタイトルです。この後の話はこれらのゲームに関する語りが大部分ですので、まずはこれらを紹介しておきましょう。

Wizardry 
Sir-Tech社から発売されたダンジョン探索RPG。第1作は1981年。主観視点でダンジョンを探索し、ボスの打倒などを目指します。
TRPGをコンピュータゲームに移した作という色が強く、ゲーム内にもその面影が見られます。また、コンピュータゲームにおけるRPGの原型の一つとして、のちのRPG作品に影響を及ぼしたと言われており、日本でもファイナルファンタジー1の呪文体系などにその影響を色濃く見ることができます。
現在では他会社から「外伝」などの形でいくつもの続編作品が作られています。


世界樹の迷宮
アトラス社から発売されたダンジョン探索RPG。第1作は2007年。主観視点でダンジョンを探索し、ボスの打倒などを目指します。
最大の売りは戦闘の戦略性と見られ、一般的なターン制の戦闘でありながら、多すぎることなくしかし十分に多彩なスキルと装備によってさまざまな工夫ができるのが楽しいところです。
早くVI出して。


これらは

・拠点となる町は一つ。潜るダンジョンも一つ。(一部作には例外あり)

・ダンジョンを主観視点で探索する。

といった大枠が共通しており、これらのように主観視点でダンジョンを探索するRPGは現在ではDRPG(ダンジョンRPG)という名前を与えられています。
ではこの2つは似たようなゲームなのでしょうか?実際にプレイしてみると、全く違うゲームという印象を受けます。「発売が四半世紀違うのだから出来が違って当たり前だろう」と言われそうですが、私が感じているのはゲームとしての出来栄えの差ではなく、方向性の差なのです。

私は、その差をこう表現します。
「Wizardryはリアリティを求めている。世界樹の迷宮は戦略性を求めている。」

2作品の様々な差異がこの方向性の違いで説明でき、同時にそれが2作品それぞれの魅力になっていることが感じられます。いくつか例を見てみましょう。

呪文/スキルのパワーバランス

Wizardryはリアリティを求めていますから、鍛錬を積んだメイジが単純に強い呪文を打てるのは当たり前。レベル1のメイジとレベル7のメイジとのダメージ効率の差は歴然です。
この実力差は、敵との力関係にも現れます。駆け出しの冒険者がデーモンやドラゴンを倒したいなら、できることはただ一つ。相手が攻撃を外し続けてくれることを祈ることです。低レベルの呪文でも多少の工夫はできますが、工夫したところで高位の呪文やブレスを一発撃たれればさっくり焼けます。レベルが低い冒険者には死あるのみなのです。
現実のスポーツや学問でも、習い始めの人が小手先の策を弄したところでベテランとの実力差は覆せないことの方が多いですし、大きな困難に直面したとき素人は無力なことが多いですが、それを感じさせる設定になっています。

世界樹の迷宮は戦略性を求めていますから、レベルが上がったからハイ強いスキル、とはなっていません。レベルアップすれば新しいスキルが解放される要素はあるとはいえ、高レベルを要するスキルは強いというより尖っているスキルが多くなっています(うまく使えれば下級スキルより強いが下準備が必要だったり消費が重かったりする)。逆にLv.1からとれる基本的なスキルでも後半のボス相手に使いどころがあるようになっていますし、レベルが低くてもスキルや装備の組み合わせを工夫した上で敵の行動パターンを踏まえてうまく立ち回ればボスを撃破できるようになっています。それは世界樹の迷宮の醍醐味の一つでもあり、策を練り、低レベルでボスを倒した時の爽快感はなかなかのものです。

敵の構成

Wizardryはリアリティを求めていますから、弱い敵が1体で出てくることもあれば、強い敵が群れを成して出てくることもあります。自然界ではそれが当然なのです。大型のモンスター、強力なモンスターほど群れが小さくはなりやすいという傾向はあれど、出会う敵編成が毎回同じような強さに調節されることはないのです。2体相手でもきついグレーターデーモンが一気に6体出てくる(そのフロア到達時では九割九分勝てない)など戦略性を重んじるゲームならふざけるな案件ですが、仕方ありません。グレーターデーモンは必ず2体以下で行動するなんて摂理はないのですから。

世界樹の迷宮は戦略性を求めていますから、敵編成は適正レベルでほどほどに苦戦し、適正未満でも工夫次第で殲滅できるような編成に調節されています。登場する編成はフロアごとに各モンスターの数まで含めて指定されており、明らかに勝てない、逃げる一択の編成と出会うことはありません。出会ってウッとなる凶悪な敵編成はありますが、世界樹の迷宮シリーズは先述のとおりスキルの種類が豊富なこともあり、対処法はいくつも用意されています。

ダメージ計算

Wizardryでは(略)、ダメージの乱数幅は大きくなっています。これも当然のことで、同じモンスターに同じように切りかかっても、僅かなモンスターの動きの違いでそれが致命の一撃になることもあれば、かすり傷を負わせるにとどまることもあれば、外れることもあるでしょう。常に安定したダメージを与えるなど、剣の達人でも不可能です。レベルが上がって攻撃回数が増えてくればダメージは安定してきますが、ダメージが安定してきたと思う頃にはもうクリアレベルです。

世界樹の迷宮では(略)、ダメージの乱数幅は小さく設定されています。ヒット数に幅があり、それによって総ダメージ量がばらつくようなスキルはありますが、通常攻撃はじめ多くのスキルはダメージ量が安定しています。敵の攻撃も同じです。これにより「この敵は○ターンあれば必ず倒せる」「このボスのこの攻撃はギリギリ二発耐えられる」などの見立てが立ちやすく、それに基づいてターンごとの立ち回りを考えることができます。これも戦闘の戦略性を支える要素でしょう。

成長のランダム要素

Wizardry(略)、レベルが上がってもステータスの成長はランダムで、低確率ながら下がることもあります。呪文についても同様で、呪文ごとの習得レベルに達していても覚えるかどうかはランダムです。
人は均質には育ちません。それゆえ、チェックポイント到達時にそこまでの全てを習得している人は少ないのです。現実世界の高校は、建前上は数学2Bまで習得して卒業することになっていますが、実際には一通り理解して卒業する人は少ないですね。この世界で「確率の計算は結局理解できなかった」と嘆く人がいるように、Wizardryの世界では「マディの法理だけは理解できない」と嘆く僧侶がいるのです。

世界樹の迷宮(略)、キャラクターはレベルアップごとに同じように育ちます。同じクラスで同じレベルなら、能力値は等しくなちます。だからこそ、「このボスは〇レベルあれば安定して倒せる」というように目安が立つのです。また、レベルごとにキャラクターの強さが固定されているので、それまでレベル24で倒していたボスをレベル22で倒せたなら、それは自分のプレイスキルが上がった(キャラクターの成長運が良かったからでなく)と思えます。プレイスキル向上の実感はゲームの報酬としてかなり有力ですね。

迷宮の構造

Wizardryでは、ダンジョンの中に結構強烈な罠が仕掛けられており、しかもそれが踏破のために必須となっていることがあります。
それも当然のことです。ボスが何のためにダンジョンの奥に居を構えるかといえば侵入されないためなわけですから、侵入されないためなら回転床だってダークゾーンだって配置しますし、ハマったら即死級のトラップも置けるなら置くでしょう。
(なお、これについては「侵入されたくないなら何故1階から凶悪なトラップを置かないのか」というツッコミが考えられますが、私はこれに、「深層にいるボスが力を及ぼせるのはその近辺のみだから」という理由をつけています。)
一方で、多くの作ではダンジョンは一本道になっていません。同じフロアの同じ場所に階段とエレベーターの両方で至れることも多くあります。これもリアリティのもとでしょう。RPGのダンジョンで、都合よくボスまでの道が一本だけあるというのは実に人工的です。言ってしまえば、この順に進んでほしいという作者の都合です。その都合を捨て、自然にそこにあるダンジョンに好きなように挑んでくれというのがWizardryの精神なのだと思います(とはいえゲームなので多少の順序指定はありますが)。

世界樹の迷宮では、ダンジョンの構造自体が凶悪なことは少ないです。一部作のラスボス後にはとんでもないフロアが登場しますが、基本的には誰でも時間をかければ踏破できるように調節されていると言えます。パズル的に難しい要素はクリアに必須でないところに配置されたり、道を塞ぐF.O.E(シンボルエンカウントする強敵)を倒して進めるようになっているなどの救済が用意されています。ゲームとして面白くなるように、ダンジョンが調節されていると言えるでしょう。
また、世界樹の迷宮シリーズのダンジョンの特徴に、ショートカットがあります。ある地点まで進むと抜け道が開通でき、以降はそこを通ってショートカットできるというものですが、この抜け道、明らかに人工的に、ほどほどに進むごとに配置されています。リアリティよりゲームプレイ上のストレスを減らすことを優先しているのがよく見えますね。

その結果として…

このように特化されているからこそ、それぞれのゲームが想定する臨み方をすれば、これらのゲームは持ち味を存分に発揮してくれます。

Wizardryをプレイするときにはリアルな冒険を。

世界樹の迷宮をプレイするときには戦略の追求を。

逆に、Wizardryをプレイする際に「戦略的な戦闘を楽しむぞ!」と思ってかかれば期待外れになるでしょう。そんな要素は、捨てられているのですから。大体戦略立てたところでモンスターは突然襲い掛かってきたヘルハウンドはブレスを吐いたヘルハウンドはブレスを吐いたヘルハウンドは(以下略)。

作る立場として

自分が何かを作るとなったときにその目指す方向を明確にすることの重要さも、ここに見ることができます。作品を作っているとき、両取りが困難な要素に出会うことはよくあります。どちらかをとるならどちらかを捨てねばならないトレードオフ。そんなとき、どちらをとるのかの判断(場合によっては中庸が取れることもあるでしょうが、それならそれで中庸をとる判断)は、結局その作品によって何がもたらされることを望むのかに依存するでしょう。
今回語った二作は、制作時に何度も訪れたであろう「リアリティをとるか?戦略性をとるか?」の問いかけに一貫した回答をし続けたものと言えるでしょう。それゆえに、同じDRPGの枠の中にあって、リアリティが欲しいときに満足できるゲームと、戦略性を楽しみたいときに満足できるゲームとが出来上がった。これらから学ぶところは大きいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?