備忘録

皆様、お久しぶりです。いかかがお過ごしですか。

決してこの場所を忘れていた訳ではありません。何度も、何度だって。言葉を紡ごうとしてきました。ただどうしても言葉に言葉を脚色しただけの信用ならない駄文だけが生まれてしまって。遺したい言葉たちが自分の中にあったにも関わらず、私が誰かに伝えたいことも伝えるべきことも何も見えない虚像の世界がそこには広がっていて。

無理して言葉を操ろうとするよりも。

きっと湧き上がる想いに押し潰されそうになったその時に。素直に言葉は紡ぐべきものなのだとふと気付きました。例えそれが己のエゴでしかないとしても。

今日、今、この瞬間が何年経っても色褪せないように。

そんな当たり前のように湧き出る気持ちにも、繰り返す時間にも必ず終わりがあるように、出会いには必ず別れがあるものです。「さよなら。」で終わる別れより「またね、」で終わる別れの方が圧倒的に多いのは周知の事実で。別にそれが愛しいだの切ないだの美しいだのなんだのって、この私が思う訳ないことは皆様お察しでしょう。

だけど。この別れが「またね。」で終わる別れだと確信した時。ただただ悲しかったのです。いや、心が張り裂けそうなほど苦しいのです。どうしようもないと頭では理解していても、それでも。

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『ドライで、人と馴れ合うのが嫌いで、人混みが苦手。隙がなくて、大抵のことは卒なくこなす。一言えば十理解してくれるタイプ。ずる賢くて案外自信家。本愛好家で学校が嫌い。R-1さえ飲んでおけば大半のことは大丈夫だと思ってる。』これは私の取説でもあり、「またね、」の彼(恩人)の取説でもあります。

とにかく完璧な人でした。視野が広くて、察する能力が高い。知性と品性の塊。

そんな彼は「僕たちは同じタイプの人間だ」とよく言ったものです。個人的な解釈としては前述した表面上の彼ではなく、内面が似ているということだと受け止めています。本音を言うと心の底から嬉しかった。一人じゃないんだって、こうやって捻くれた思いを抱いたまま生きていてもいいんだって。認めてくれているんだって。例え湧き上がるその安心感すら彼の計算の範疇だとしても。

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ふと、彼の言葉が好きだと伝えたことがあります。彼は「君だから多少踏み込んだ言葉を使って伝えても問題ないと思っている、でもまた違うタイプの人ならこの言い方はしない。同じことを違う表現で伝える。」そう教えてくれました。

時が止まったと錯覚するほど、はっとしました。相手の望む言葉を偽って吐き出すのではなく、自分の伝えるべきことを相手に合わせた表現で紡いでいくのかと。同時になんて自分は愚かなんだろうと思いました。そんなことも知らなかったなんて。今までの私の言葉は凶器でしかなかったのだと。ただそのことに気づいた時にはもう時間はなくて。彼と過ごした日々の中で後悔があるとするならば。もっと彼の生き方を知りたかった。教えて欲しかった。話がしたかった。

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そんな彼とは物理的に会うことがあったとしても、真の意味でもう二度と会うことはないでしょう。何故かと聞かれても理由は一つしかありません。

『私たちは似ているから。』

いつか誰かに向ける私の言葉が武器に変わった時、ありがとうを云わせて下さい。この後悔を糧に強くなります。それでは。





またね、

毎日のコーヒー代に使われます。いつもありがとう。