脅迫観念

ふと、書きたいことが浮かんでは消えて。書かなきゃって脅迫観念に追われることって結局そんなに重要なことではないし、伝える必要性があったり、なかったり、ね。

ちなみにタイトル浮かばないまま文が書ける時は割とすんなり納得できる言葉達が生まれます。( それが今!!!)(ごめん、そうでもなかった!!)

さて、さっきも書いた【脅迫観念】。争い事が苦手な理由の1つでもあります。

皆さんお察しの通り、私は元来あまり性格がよろしい人間ではないので、目の前の勝負事にやたらめったらこだわるタチの悪いところがあります。

そして大した自信も無ければ余裕もない癖に余計な足枷を自ら進んでつけ始めます。そう、狂気の沙汰です。

その結果、元から人間という生き物に対して嫌悪感を抱いている身にも関わらず余計に心が狭くなるという現象が起こってしまうわけです。逃げるわけにはいかない。絶対負けられない戦いがここにある…!どんな手段を使ってでも勝つ…!(え、自分で書いててちょっと引いたわ…。)

でもね、心が狭くなった自分を実感するたび自分のことが嫌いになります。上に上がれることは凄く嬉しい事だけれどその度に大事な何かを失っている。生きていく上で勝負事っていうのは経験すべきことで、きっと無くてはならないことです。だけど感情に振り回されがちな私には失うものの方が多いのかなって。

そんな葛藤する日々の中で自分なりの方法で「 戦わずして、勝ちたい (駆け上がりたい)。」 と思うようになりました。

私は目先の勝ち負けにこだわらず、目の前の誰かと幸せと幸せのキャッチボールを重ねることで自分の居場所を創り上げていきたい。

勿論、誰かに笑顔を届ける為の努力やかける時間は絶対に惜しまない。ある意味これは誰かと私の幸せな勝負だったりしちゃうけど。

上を目指す方法はバチバチ火花散っちゃう様な勝負事だけが全てじゃないと思うんです。一人一人やり方があっていいと思うし、自分に合ったものを選択したらいいと思う。

何よりも大事なのは上を目指して進んでいくという覚悟。そして、いつか終わりが来たときにこれで正解だったと思えたならもうそれは大勝利じゃないですか?( 知らんがな。)

私は、ゆったり、まったり、楽しく。目の前のみんなと一緒に茨の道を歩いていきたい。

 



…なんて、らしくもない生温いこと語ってみました。実現できたらいいな。っていうぼんやりした妄想話。


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