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人口に膾炙した「演技」のイメージ

僕は「タイタンの学校」と呼ばれるお笑いの養成所に通っている。あの爆笑問題が所属する事務所タイタンに養成所があったのですかと言いたくなるだろうが、僕はその3期生である。いわば出来立ての養成所であるので有名ではないのも無理はないし僕らが頑張ってその名を広報していきたいと思っている。ちなみに通称はタイタン・コミュニケーション・カレッジの頭文字をとってT C C。

そこに通ってネタを作り人前で披露して意見を頂戴するのだが(いわゆるネタ見せ)、養成所の同期や事務局のスタッフ、養成所の講師らと話していて「演技」について気づかされることがある。

僕は大学がI C Uというところを卒業しているのだがその縁もあってか、同大学の先輩である平田オリザという劇作家・演出家に私淑している。馴れ馴れしくオリザさんと呼ばせていただくが、僕は在学中にかれの唱えるいわゆる「現代口語演劇」に感銘を受けた。なぜそれを知ったかというとI C Uの図書館に所蔵してあるオリザさんの著書を読んだことによる。

「現代口語演劇」とは大雑把に説明できる物でもないのだが簡便に言うとなれば、それまでの新劇のような仰々しいいわゆる「芝居がかった」演技ではなくわれわれが普段日常で使っているような言葉遣いや話し振り・トーンで演劇を構成するといったものである。何も難しい話ではなく、タモリさんがミュージカルを嫌いな理由をもっと突き詰めたようなものである。役者が唐突に歌い出すのはおかしいではないか、それにあの喋り方はなんなのだ、日本人はああ言う風には喋らない、そもそも日常では同時に喋ることだってある・・・と言うのを考えていくと青年団の芝居になっていくと思われる。こう書くと退屈な芝居なのではないかと言う誤解を生みそうだが実際に観劇してみると非常にスリリングである。

そしてその演出論の中で最もラディカルなものが、「役者に内面は要らない」と言うもの。というか、内面というものがそもそも存在しているのか?とオリザさんは問う。役者が「悲しい」と言っていても実際に内面が悲しい必要はなくてむしろ「悲しい」と言っている顔や声が「悲しいのだな」と言う感想を観客にもたらすので役者の内面が「悲しい」という感情である必要はないしもはや「悲しい」という言葉を発する必要もない。少し話が逸れたが演技をする際にその役の人物の状況や心情を完璧に想像する必要はないと言うのが「現代口語演劇」の理論の骨子である。その人物の感情や状況を想像できていなくてもそのように見えれば良いのである。

迂回が長くなったが、タイタンの学校に通っていて気がつくことは世の中の「演技」のイメージというのはいまだに「ガラスの仮面」の領域を出ていないということだ。

「ガラスの仮面」というのは演劇をテーマにした未完結の連載漫画なのだが、有名なシーンに俳優の主人公が演技の先生から「木になれ」と命令される場面がある。その際に主人公は「木」になりきることを強要されるのだがこれはスタニスラフスキー・システムという演技の理論を下敷きにしている。

スタニスラフスキー・システムとは19世紀ロシアの演劇人スタニスラフスキーが構築した演出の理論で、それによれば俳優は「役を生きること、すなわち演じるたびに、役の人物と同様の感情を体験することが必要」(コンスタンチン・スタニスラフスキー『俳優の仕事ー俳優教育システム 第一部』堀江新二他訳、未来社、2015年、40頁)
なのだという。ものすごく当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれないこの演技観は、100年ほど前にロシアで生み出された方法なのだ。

そこで僕が問題としたいのはこの演技観が全く刷新されていないのはないかということである。なぜ危惧するのかというと消耗を招くからに決まっている。「君はこの人物の感情が想像できていないから演技がダメだ」というダメだしには終わりがない。なぜなら観客から見てその俳優がどの程度その役の感情が想像できているかを推し量るのは不可能だからだ。

ではどうすれば良いかというと徹頭徹尾、「どう見えたか」ということを追求していけば良いのであって、内面や感情の動きなどは全て観客の感想の中にあって後からついてくる。ただお笑いというのはウケた部分が正義だからウケたやり方をすれば良いのだという風になるので自然と「どう言った気持ちか」とかいうことよりも「どう見えているか」という思考にシフトしていく確率が高いだけでベースとなる考え方は依然「ガラスの仮面」で止まっている気がする。

そして余計なお世話なのだが日本の映画やドラマ・アニメにおいて人物が心情を全て説明することが多いのはこういった背景があるように思う。そもそも内面が存在すると誤解されていて克つ「どう見えるか」より「どう思っているか」が優先されてしまう。

常日頃から演技をせざるを得ない人間にとって「現代口語演劇」の考え方は日常を生きる武器になりうると思うので、僕が読んで感銘を受けたオリザさんの書籍(『現代口語演劇のために』『都市に祝祭はいらない』)があまり書店では手に入りにくい状態となっているのは単純に由々しき事態だと思った。


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