文字で読む「第2回湘南電書鼎談」2011年6月25日(土)

3年前にリリースした電子書籍についての鼎談本を、第1回配信分に続きアップします(「第1回湘南電書鼎談」はこちらからどうぞ)。若干古い話題もありますが、今読んでも本質的な部分は変わっていないのではないかと思うので、もしよろしければご覧ください。

なお、第1回同様に無料で全文読めます。もし楽しんでいただけたら「スキ」ボタンを押したり、投げ銭代わりに200円で購入したり、他所でご紹介したりしていただけたらうれしいです。

第2回湘南電書鼎談

2011年6月25日(土)
atどんぶりカフェBowls鎌倉本店

<はじめに>
これは、USTREAMで配信された湘南電書鼎談の動画アーカイブをもとに構成された「文字で読む湘南電書鼎談」です。

<登場人物>
今井孝治(印刷業)
東京の印刷業者。おもに司会を担当。
twitterアカウント@sasanoha

勝田俊弘(印刷業)
東京の印刷業者。最若手にして、電子書籍の実制作にも携わっている。twitterアカウント@katta_to

古田アダム有(印刷業)
鎌倉市在住の印刷業者。「本と出版の未来」を考えるためのメディア『マガジン航』に「震災の後に印刷屋が考えたこと」「印刷屋が三省堂書店オンデマンドを試してみた」などを寄稿。
twitterアカウント@arith

古田靖(文筆業)
横須賀市在住のフリーライター。著書に『アホウドリの糞でできた国 ナウル共和国物語』『「アイデア」が生まれる人脈。』など。電子書籍インディレーベル「カナカナ書房」を運営。twitterアカウント @tekigi

ソーシャル・ストリームで参加してくださった大勢の方々(文中では「SS」と表記し、要約して一部ツイートを収録させていただきました)。

●はじめに

「湘南電書鼎談」は東京都内の印刷会社で働く今井孝治(以下「今井」)、勝田俊弘(以下「勝田」)、古田アダム有(以下「有」)、横須賀在住のライター古田靖(以下「靖」)が、電書(電子書籍)と出版、印刷のこれからについて語りあう集まりです。

 当初は、よくある勉強会のような形式になるはずでした。

 ところが、最初の会合予定が2011年3月11日だったのです。もちろんこれは中止になり、その後USTREAMをつかったオープンな形式を採用することになりました。

 第1回鼎談配信は日を改め、5月13日におこなわれました。終わったあと、ぼくらは鎌倉小町通りにあるイタリアンのお店Osteria Comacina (オステリア・コマチーナ)に移動。反省会と称してワインをがぶがぶ飲みます。Osteria Comacinaはワインも食べ物も何を頼んでもおいしいんです。とくに水ナスとサバのサラダは素晴らしかった。

 オフラインでの雑談はだんだん鼎談の続きのようになり、そこで新たなキーワードとして浮かび上がってきたのが「編集」という言葉でした。
 本をつくるのに、編集は欠かせないらしい。でも編集ってなんだろう。よく分からない。

 というわけで第2回配信のテーマは「編集」です。2011年6月25日、場所は第1回と同じ、どんぶりカフェ鎌倉bowls店内から配信されました。

  録画ボタン押しました。
  今回はアーカイブ残るんですね。(注:第1回はアーカイブをつくり損ねた)
  はい。大丈夫です。
今井 はじまる前に、最初のビール飲み終わっちゃいましたね。
  頼みましょう。
今井 せっかくだから鎌倉bowlsならではのにしましょう。鎌倉ビール、江ノ島ビール、葉山ビールというのがあります。
  葉山ビールにします。
  いいですね。
今井 じゃあ葉山ビールにしましょう。勝田さんは?
勝田 ぼくはコーヒーがまだあります。
今井 お酒は飲まない。
勝田 飲みません。
今井 じゃあ葉山ビールを3つで。
SS  サッポロですがぼくも飲み始めます。
  あ、ソーシャルストリームの向こうでも。
  じゃあ、カメラ越しに一緒に飲みながらやりましょう。
一同 カンパーイ!

●実際に「電書」をつくって分かったこと

<編集者抜きでつくってみた電書&冊子「第1回湘南電書鼎談」>

  今回のテーマは「編集」です。ぼくはライターなので編集者さんと直にやりとりしますけど、印刷の方はあまり関わらないのでしょうか。有さんの会社は出版印刷をやってるから、話すことはある?

  出版社に営業にいくことはあります。でも、ぼくの得意先では編集の方にお会いする機会はあまりないですね。ぼくらは最終的なデータを受け取るだけで、製作サイドの方と話すことが多いです。やりとりする内容は、スケジュールとか進行ぐらいですから。だから編集さんは、近くて遠い存在という感じです。

http://wook.jp/book/detail.html?id=212736  前回の配信でもちょっと出たと思うんですけど、ぼくは電子書籍をきっかけにして、できるだけ多くのひとに「中身」に関わってもらえるようになったらいいと思っているんです。そこがまさに「編集」の領域になるのかな、と。

  はい。

  それで、実際にやってみたらいいじゃんと前回の配信を「第1回湘南電書鼎談」というタイトルでまとめ、PDF、EPUB、iOSアプリ、冊子にしました。ぼくが文章をおこして、みなさんに赤を入れてもらって、文字原稿を完成。それを手分けして、本のカタチにする。とりあえずいまこの配信をしている時点では、PDF版がWookというウェブ上の電子書籍配信サービスで購入できるようになっています。

今井 ここですね。 http://wook.jp/book/detail.html?id=212736 

  これから他の形式のものもみなさんに届けられるようにしていく予定なんですけど、ぜんぶ構成やデザインが違ってます。

今井 PDF、EPUBは横組で、冊子は縦組。アプリはどうでしたっけ。

  アプリはダイヤモンド社さんのBookPorterをつかうので、縦、横どっちにもできます。読者さん次第。デフォルトは縦だったと思います。

今井 冊子はなんとなく縦にしちゃいました。

  実際に作業してみてどうでしたか?元は同じコンテンツなんだけど、一括して変換!ってわけにはいかないんですよね。

今井 そうなんですよね。縦と横が違うとカッコのつけ方、点の打ち方とかがぜんぜん違ってきます。横書きは3点リーダー1つでも気にならないけど、縦書きだと2つつなげないと読みづらい。

  3点リーダーというのは、1コマに「…」って出るやつですね。

今井 ネット上のやりとりでは「…」で済ませちゃうんですけど、縦書きにするとやっぱり気になるんですよ。

  今回冊子のつくりは今井さんが決めたんですよね。

今井 中見出しのフォントの大きさとか、柱の位置とか、決めないとまったくモノにならないんで、「いいや、いいや」でどんどん決めちゃいました。

  柱?

  本文ページの上や下にある、「いまどこの章にいるのか」を表示する章タイトルのことです。

  あー、これを柱というのか。

今井 そうです。その位置が決まらないと、ぼくらは何もできません。

  なるほど。でもこれって正解はないわけですよね。3点リーダーが1つがいいか、2つなのかって議論はできるけど、正しい答えがあるわけじゃない。

今井 そうですね。どっかで誰かが決めなくちゃいけないことです。今回は最初にブックデザインがあったわけじゃないので、とにかく読みやすいようにとつくってみました。だから四六判の単行本ではなくて、新書のスタイルを踏襲しています。

  PDFは有さんが手がけてくださったんですね。

今井 まさかの横長の版面でした。

  PDF版の電書を読むデバイスはiPhoneかiPadが多いのかなと思いまして、あえてiPad用に特化してつくってみました。iPadだと縦でも横でも読めるんですけど、自然なのは横かな、と。

  そうだと思いますね。

有  それと、いま出ている電子書籍の多くは書籍のデザインを再現しようとこだわり過ぎてると思うんです。紙の本を開くと、右のページがあって、左のページがありますよね。でも別にiPadで読む本が見開きである必要はないじゃないですか。それで単ページで表示するレイアウトにしてみました。これiBookでは横スクロールになっちゃうんですけど、ホントはウェブのように縦にめくれるとイイなあと思っています。

  ぼくはiPadユーザなので、これは読みやすいなあと思いました。あとEPUB版は、電書部や阿佐ヶ谷電書で活動なさっている小嶋智さんという方に作成していただきました。

今井 iBookをつかうと、やっぱりEPUB形式は読みやすいですね。iPhoneでもストレスなく読めます。

(実際にiPhoneをつかって表示させてみる)

SS  EPUBはiBookで表示させるんですね。ペラペラめくれるんですか。

  そうなんです。紙の本を読むイメージを踏襲してるんだと思います。

  ですね。

今井 ちなみにいまはiBookをつかいましたが、EPUBは他のツールで読むこともできます。

  じゃあStanzaつかってみましょう。

(Stanzaで同じEPUBを表示させる)

今井 ほかに、MacではMurasakiというEPUBビューワも出ました。これでも見れます。

  あ、それ知らない。

  Murasakiけっこういい感じですよ。

<電書づくりから見えてきた編集の必要性>

  今回の製作過程には、いわゆる「編集者」がいなかったんですけど、どうでした? ぼくは「いたらいいのになあ」と思ってました。

今井 ぼくらは現場の人間だから、モノとしてカタチにしようという気持ちがすごく強いし、そのために何が必要なのかも分かっている。だから必要とあらばパッケージをつくることはできちゃう。でも、何かが抜けている感じがあるんです。何が足りないんだっていうのは、すごく難しいんですけど。それで、ちょっと思い出したのが、このあいだ参加したワークショップのことです。

  ぼくも一緒にいったんです。こういうものですね。「Open Publishing @ amu」http://www.dotbook.jp/magazine-k/2011/06/08/editing_as_project_with_others/

今井 このとき同じワーキンググループになった方が、やっぱり編集者のいないスタイルでミニコミ雑誌(ZINE)をつくっておられたんです。たしかカメラマン、ライター、キュレーターという構成だったのかな。すごくきれいな雑誌なんですけど、でも、やっぱり同じような感覚がありました。そこでも話したんですけど、やっぱり「読んでくれるひと」「見てくれるひと」という視点をしっかり持つためには、編集者がいた方が強い。

  はい。

今井 そういう存在がいれば「読者はどう思うだろうね」というやり取りが常にできますよね。

  そうか。編集者がいないまま本をつくると、読者役がいないのか。

  そうそう!今回は全員が制作者になっちゃいました(笑)

今井 そう、読者視点がなかった。もちろんみんな読者のことは意識してるんですけどね。でも、常に読者役を引き受けていてくれる存在はいなかったんじゃないかと。

SS  「編集者が不在であるということは、読者視点が不在だということである」という指摘は鋭いと思います。編集者は最初で最後の読者。

  編集者のいちばん基本的な役目ですもんね。

  部分的な校正はぼくらにもけっこうできるんです。明らかな間違いを直すとか、ここはこうしたほうが読みやすい、とか。でも全体的を見通しての方針だったり構成を考えるような視点は持っていないのかもしれません。

今井 「買ってくれた人が読みやすいように」なら、ある程度編集者抜きでも進められる気がします。でも「読者の手にとってもらえるように」とか「いつどこにどんな本を出すか」とか、そういう部分は編集者さん、出版社さんがいないと難しいのかな、とも思いました。

勝田 うん。

  あー。

今井 ぼくらはカタチにはできるんです。でも、そういう部分の視点はないんだなと今回ひしひし感じましたね。

<間違いを正す「校正」の視点ではない、「読者」の視点>

  ポット出版の社長、沢辺(均)さんがおっしゃっていたと思うんですけど、出版社の最低限の人員構成は編集1名、営業1名だそうです。

  あ、まさにそういう構成の小さな出版社、いくつか知ってます。

  やっぱり本をつくる人と売る人がいないといけないんだな、と思いました。この2つの機能があればコスト計算もできるんですよね。

勝田 印刷屋が自信を持ってできるのはコウセイぐらいなんですよね。少なくともいまのぼくらに編集をやることはできない気がします。

今井 そのコウセイは、校正?

勝田 そうです。間違いを直すところ。

  正しいか間違っているかはっきりしていればできるということですね。そういう風に割り切れない部分、それから読者の視点、あとは多くのひとに届けるという部分。これらを引き受けるのは難しいということですかね。

  そういう感じですね。

  うーん。ぼくはライターなので、普段の仕事は編集者さんとやり取りしながらやってるんです。でも、電子書籍ではそういう役割のひとがあんまりいない。多くの出版社はこの世界に入ってきていないし、儲けもまだ少ないから、誰かを誘うのも申し訳ないっていうのが理由です。だから、できるだけ自分で編集的な役割も引き受けながらやるようになりました。

  だから今回は原稿のまとめと実質的な進行を靖さんにやってもらったんですよね。

  その節は急かしてごめんなさい(笑)

  1週間とか待たせて悪いなあと思いながらやってました(笑)

勝田 ぼくはあんまりタッチせずに、もっぱら読む側でした(笑)

  いえいえ、それこそ読者視点担当ですよ。色々指摘してもらいました。

勝田 あ、そうか(笑)

  編集者の大切な役割ですね。

勝田 もっと意識すればよかったかもしれないですね。本を読むのは好きなんで。

<軽視されつつある校正・校閲>

SS  校正、今は1~1万5千かもしれないけど、価格競争で安くされそうだから断ってしまった。 

  これ、単位が知りたいですね。

  ページ単価がこの価格、ということですかね。

今井 それだとずいぶん高くないですか。

  さすがにページではないかもしれないですけど、プロの校正者に頼むとそれなりの金額になりますよ。内容まで踏み込んでみる「校閲」ということになれば、かなりもらってもおかしくないと思います。

  プロに見てもらうと、本当に緻密で丁寧な校閲をしてもらえますもんね。誤字脱字や「てにをは」のチェック、内容のミスを確認するのはもちろん、「ぼく」か「僕」なのかの表記の統一、主語と述語のぶれだったり、論旨が乱れているかもしっかりチェックしてくれる。ここがしっかりしている仕事は、頼りがいのあるキーパーがいるようなもので、書き手もものすごく攻めやすい。原稿が書きやすいです。

  分厚い専門的な本になれば1冊を責任持ってみるのに1ヶ月かかる場合もあるわけですもんね。それで生活を維持していくことを考えたら安くてはやっていけないと思います。

SS  200ページの電子書籍1冊校正です。

  うわ、1冊ですか。

  それだと一人が1日でやるくらいの金額ですね。ぼくも実際、似たような価格で電書校正の依頼を受けたことがあります。仮に1万円だと、複数の人数で数日かけてチェックすることは難しい。でも、プロの校正ではない人間一人が読んだだけではどうしてもミスを見逃してしまう。ぼくの場合は、とりあえず少しずつでも料金を上げてもらえるように交渉して、この金額もいいという若いライターさん2名にバイト感覚でダブルチェックをお願いしました。でも本当はこれではダメなんだと思っています。

SS  電子書籍は出版後に間違いを直せるから校正が軽んじられるのでは? 

  たしかに、ウェブはそういう感覚なんでしょうね。ベータ版という感じで出して、あとでアップデートしたり、適宜直せばいいというやり方。でも、本で同じことをやるべきかどうかはちょっと疑問です。もし、価格競争でさらに金額が下がったら、もう仕事としては引き受けられないでしょう。マジメに時間をかけるほど損になるし、「チェック済みです」と胸をはるような責任は負えない。

  ましてや「校閲」というのは、文書の意味的な部分や背景、歴史的な経緯とかまで踏み込んで直すんですもんね。

  それをやるために必要な金額は、少なくとも1ケタ違うと思います。

SS  最近は単行本でも専門の校正者の校閲を経ていない本がありますね。 

  ありますね。紙の本でも、細かい部分や内容に踏み込んでチェックするような「校閲」を経ないまま本がつくられるようになっている。制作費を抑えるために。電子書籍はまだ市場が小さいから、それ以上にコストを抑えたいという圧力が強くて、その傾向を強く引きずっているのかもしれません。

SS  表記の混乱が気になります。送り仮名とか、誤字脱字をそのまま覚えてしまいかねないですね。 

SS  未経験者にいきなりやらせたら、品質保証できません。社内の校正担当者に、もう一度校正させなくてはいけなくなってしまいます。 

  社内に校正担当者がいればまだいいかもしれません。いまは編集部内で分担してチェックすることで済ませているケースがすごく多いですもん。

  ぼくらがチェックできるのも、おもに誤字脱字のようなものだけですね。

<「校正」はコストでしかない>

今井 出版印刷だと、校正も含めた料金設定が可能かもしれないんですけど、商業印刷(チラシ、パンフレットなどの印刷。商品ラベルの印刷などもここに入る)では、そこが出ることはほとんどありえませんから、引き受けるのは難しいんです。

  「校正もやります」といってしまうと責任が発生するからいわない、という感じがありそうですね。

今井 そうそう。「たまたま見つけたんですけど、ここおかしいですよね」だったらいえます。実際、けっこういいます。

  そうか。「校正もしますよ」とはっきりいうと、見逃しがあったらこちらのせい、という責任が発生するんですね。その責任を果すためには、それなりのコストがかかる。だから、その分を誰かにお金として負担してもらわなくちゃいけないんだ。

勝田 そうなんです。そうでないと、読むのはただのコスト増になるんです。

今井 とくに商業印刷ではそうですね。

勝田 そういうチェックは、デザイナーだったりコピーライターさんの責任の領域なんですよ。

  そっかあ。分担がぜんぜん違うんですね。そういうなかでやって来られたなら「そんなことはそっちでやってよ」と思うのが当然かもしれない。

勝田 そう思っちゃいますね。

●「編集」ってなんだろう

<ある印刷屋からみた編集像>

今井 でも、これはぜんぶいままでのことですよね。これから電子書籍に印刷業者が関わっていくなかで役割分担は変わっていくでしょうし、靖さんがおっしゃるように、ぼくらが編集的な部分を引き受けるケースも出てくるかもしれない。

  うん。

今井 そのために「編集者」って何をやっているんだ、ということをもっと知りたいんです。

  具体的に何やったらいいの、ということですね。

今井 ええ。それをぜひ話したいと思ったんですけど、ここには編集者さんがいない(笑)

  呼ぼうという話もあったんですけどね(笑)

今井 それで、こういう図をつくってみたんです。

(印刷業から見た電子書籍化の役割分担図)
https://cacoo.com/diagrams/tRw3YuwDEDdAX1LG-DD265.png?t=1308556993154

  印刷業から見た電子書籍化、と書いてありますね。

今井 ぼくの目から見た位置づけというか、役割分担を図式化してみたんです。書きながらわかったのは、編集者さんや校正・校閲者というのは、コンテンツのクオリティを高めたり、あるレベルに達していることを保証する役割を担ってきたのかな、ということです。それが電子書籍になったとき、マネタイズ問題があって、誰も引き受けられないでいるんじゃないでしょうか。

  うーん、なるほど。

今井 さっきのお話を聞いていると、もしかしたら、現在は紙の本でも似たようなことが起こっているんじゃないでしょうか。

  うん。

  たぶん、そうですね。

今井 だんだんクオリティの保証がおざなりになってきている。紙の書籍でもプロの校正を経ないケースが多くなっていて、マネタイズの難しい電子書籍では複数の編集者によるチェックすら無くす方向に向かっている。これ、いいことじゃないですよね。

  いくない。絶対、いくないですよ。

今井 どうしたらいいんでしょうね。

  電子書籍市場が成長して、紙・電子トータルでの売上がもっと大きくなっちゃえば、いっぺんに解決するのかもしれません。それと、そこまでいく過程のなかで、みんなが少しずつコストを負担することができるといいのになあという希望もあります。「きちんとした校閲までは無理だけど、てにをはぐらいは校正チェックしますよ」とか、いろんな段階で関わるひとがちょっとずつ責任を分担してくれたら、ある程度のクオリティは維持できるんじゃないでしょうか。

今井  でも、やっぱり校閲はできない。

  たしかに、よほど確実に売れる本でなければ、そこまでの予算は出てこないでしょうね。そこは、もう、ぼくも含めた書き手が最初から慎重にできるだけきっちり書いて、引き受けるしかない。実際には引き受けたようなフリをしてるだけかもしれないけど(笑)でも、それがいま起こっている現実です。だからこそ、関わるひとには「おかしなところがあったら、言ってね」といいたくなるんですけどね。「あんたらの責任だろ」だなんて、いわないから(笑)

今井 その感じは分かります。

  この図の雲のようになっているところが、出版社さんのこれまでの役割ですね。

今井 思いついたまま並べちゃってるので、分かりにくくてすみません。

  この大きな編集、地道な編集というのは?

今井 えーとですね、地道な編集っていうのはプロダクトアウトをする役割。コンテンツクオリティを上げることが使命です。大きな編集というのは、マーケットインな視点を含んだもの。

  あー。

今井 なぜ分けたのかというと、コンテンツクオリティを上げる部分以上に、マーケットインでの出版という視点がぼくらには担えない気がするんですよ。「この本は売れるか」「誰が買ってくれるか」という、マーケティングというか、ギャンブラーの視点は印刷屋って持ってない。

<「類書」の説得力と弊害>

  あ、なるほど。編集の第一歩は企画を立てることだけど、そこにはマーケット的な視点がすでに入り込んでいる。ちなみに企画は著者が持ち込むものだとよく思われてますね。でも、そうとは限りません。例えばぼくは自分から企画持ち込んだこと、ほとんどないです。

勝田 え? そうなんですか。

  ものすごくぶっちゃけた言い方をすると、まったく類書のない新しい企画は通りにくくなってるので、新しいアイデア持っていっても上手くいかないんです。だからベストセラーになった本に似た企画が出版社内で先に決まって、「それをいかに差別化するか」「誰にやらせるか」という順番で話が進んでいくことが多くなっていると思います。

  編集者と著者はイケると判断しても、編集会議でポシャるという話も聞きますね。

  営業的に難しいと判断されるんだと思います。まだ出ていない本の売り上げを予想するためによくやるのは、やっぱり似た本を何冊か探してくることなんです。そうすると「あの本は●千部しか売れていないから、難しいんじゃないか」と判断されてしまう。これが「柳の下のどじょう本」が乱発される一因になっているのかもしれません。「内容がおもしろい」だけじゃ動けない。だから、書店まわりをしておられる営業さんが「こういう本が売れているから、うちにもあったらいいのに」と持ち帰ってきたことで生まれる企画が、編集者さんの手を経てカタチになっていくことが多いんです。

今井 それは説得力ありますもんね。

SS  かつては「類書がない」ことが新しい本を出す意味だったけど、いまは「売れてる類書」がないと本が出しにくい。このあたり電子書籍でどう変わりますかね。

今井 こないだインターネットで「新しいアイデア出してよ」といわれて、何か提案すると「それと同じようなアイデアがこれまで市場でどんな成績上げてきたかのデータを添えて、企画書つくってきて」といわれたという話を読んだんですけど(笑)そういうデータがないと稟議を通らないという現実はたしかにありますよね。

  でも、類書や類似のアイデアの売上を根拠に新商品を開発しても、成功確率はたいして高くならないと思うんですよ。むしろ失敗したときに「客観的な根拠に基づいていた。売るためのベストは尽くした」といえる。そういう言い訳を用意しているだけのような気がします。テレビ局がスポンサー対策のために、高視聴率タレントを意味なく何人も並べるみたいな。あ、これ、べつに悪口じゃないですよ(笑)でも、マーケティングの皮をかぶった責任回避の手法になってるんじゃないかなあ。

今井 はい。

  ただ出版の世界って2匹目か3匹目くらいまでどじょうがいたりしますから、そっちに行きがちなのは分かります。

今井 となると、何が売れるか売れないかという「目利き」的な部分は、編集の仕事じゃなくなっているんですかね。

  そんな感触があります。だから電書は、編集者さんが持っている目を自由に発揮できる場として利用したらいいと思います。あと、そういうひとが育つために、印刷業者さんが持っている工業的な知識や最終型のイメージを提供できるといいんじゃないでしょうか。

<売れる本を見抜く目利きとしての「編集」>

SS  印刷物に付加価値を与えるのは編集者なのかも。 

今井 さきほどのワークショップ(Open Publishing @ amu)に参加したとき、津田広志さん(フィルムアート社編集長)が「編集者は『価値の転倒』をしなくてはいけない」とおっしゃっていたのがすごく印象に残って、「なるほど」と思ったんですよ。

  カッコイイなあ。

今井 ぼくなりの理解ですけど、集めたコンテンツをただ足し算で並べるだけじゃダメなんですよね。新しいカタチ、違う価値を出すように編んでいかないと、本にする意味がない。そのくらいのことをするのが編集なんだ、と納得したんです。でも、これ幻想が強すぎるのかな(笑)

  そこまでカッコイイ編集者さんばかりではないのは確かかも(笑)

  いろんな立場の編集者さんがおられますもんね。会社組織のなかでルーチンワーク的な業務をこなすのも、フリーの立場で自在な活動をなさるのも、どちらも同じ「編集者」ですからね。幅の広さに対して、持たれているイメージが限定されすぎているのかも。

今井 それはありますね。でも編集者というひとは、最終的な本のカタチをある程度以上具体的に思い描けているんですよね。そうでないと発注できないでしょう。

  その意味でいうと、印刷業者の方は「電書」=「デジタルデータとしての本」の最終型をいちばん思い描けるんじゃないかと思うんですけど、どうですか。

  うーん。

今井 ……経験はありますけどね。

  電子書籍って、これまで印刷機にかけていた本のデータをアプリだとかEPUB、PDFに直すことじゃないですか。その最終型イメージは、まだほとんどの編集者さん、書店員さんは持ってないですよ。むしろプリント前のデータ制作をしてきた印刷屋さんのほうがリードしていそうだし、少なくとも同じスタートラインから考えてもいいんじゃないですか。

今井 情けない話かもしれないけど、我々印刷屋が見てきた「本」というのは、紙質だったり、インキの具合だったり、製本の確かさといった、かなり限定された側面に過ぎない気がします。たしかに最終的なデータは見ているんですけど、そこに至るまでの「どうやってこういうコンテンツをつくるのか」を知らないんですよね。

勝田 普通に印刷やってたら、そうですよね。知りようもないです。

  うーん。

  やっぱりぼくらは製造業なんですよ。最終イメージはすでに決まっていて、いかにその実現のお手伝いをするかという仕事なんです。この業界でよくつかう表現でいうと、コンテンツというのは、お客様がいる「上流」から流れてくるものなんですよ。

勝田 そうです。

今井 そう思います。「いままでの」話ですけどね(笑)

  では「これから」はどうしましょう。なんか、炊きつける役になっちゃってますけど(笑)

今井 それでいいと思います。ぼくらも炊きつけられたくてココにいるんですから(笑)

<これまでの編集者と電書の編集者>

  編集の方と著者さんって、具体的にどういうふうにやりとりするんですか。

  ぼくは文章ですけど、実際に書いてみないとイイも悪いも分かんないですよね。だから企画のイメージを共有することが欠かせません。参考文献があれば借りたり、ぼくのどの原稿を読んで依頼してくださったのかも聞きます。ページ構成、文体のニュアンスといったことをできるだけ伝えてもらう。それを元に原稿をつくります。このへんの感覚は、けっこう製造業に近いのかも。書き上がった原稿のチェック方法はひとそれぞれです。気になる箇所に赤字を入れられたり、イメージの齟齬を指摘されたりします。週刊誌なんかだと時間がありませんから、自ら書き直す編集者さんもおられます。

  誤字・脱字のような目にみえる部分ではないチェックもするんですよね。

  そうですね。たしかに難しくみえるかもしれません。いまも、ある原稿に対して「なんか、こうね、来ないんですよ」と指摘されて書き直しているところです(笑)

今井 来ない(笑)

  何度もやりとりをしたことのある編集者さんなら、ニュアンスは分かりますよ。ホントに自分が分かってるのかは、書き直したモノを読んでもらわないと確認できないけど。

今井 ディレクターというか、プロデューサー的な要素も強いんですね。

  編集さんは、企画を実現するためのパーツをぜんぶ同時並行してそろえていきますよね。イラスト、写真、文章、デザインも手配し、営業担当者、編集長と意見交換をし、会社とは予算の折衝をする。製作総指揮ともいえるのかなあ。

今井 同人誌では著者が編集者を兼ねていることが多いと思うんですけど、商業出版では分業するのが当たり前になっている。1冊の本を1人でつくるとリスクが大きいからじゃないでしょうか。電書はどうなるんだろう。

  じゃあ、対比させて、電書編集者の作業を具体的に考えてみます。まず本の最終型を思い浮かべなくちゃいけない。読者がどんなデバイスで読むのかを想定する。広く普及しているデバイスを狙うのか、あえてキンドルにしてみるのか。これを思い浮かべると、自動的に販売方法も決まってきますね。同時にファイルのフォーマットも限定されるから、それを実現できるプログラマさんやデザイナーさんを見つけて、発注することになる。

勝田 デザインをあげて、プログラマがそれにしたがってプログラムを組むんですかね。

  この2つが分かれているのは現実的ではないのかな。非効率っぽい気もしますね。

今井 でも現在でもウェブデザイナーがいて、プログラマもいて、という感じですよね。ここのやりとりで「イメージと違う」なんて齟齬がでるケースも多いですけど。

  個人的には、イメージについての議論は編集さんも交えて議論できるようにしたいですね。編集者さんがウェブデザインまでやったり、プログラムのできるデザイナーさんがいる方がやりやすいのかな。そっちはぜんぜん詳しくないんだけど。

今井 ウェブの世界の役割分担も、だんだん変わっていますからね。そういう方法に進んでいるような気もします。

  これに対して、素材を集める方法は以前とあまり変わらないかもしれません。イラスト、カメラ、デザイン、ライターとの人脈は今後も活かせる部分が多そう。

今井  マルチメディア化した電書もありますよ。

  あ、そうか。ミュージシャンだったり、映像クリエイターさんへの発注もありますね。

  いろんなことできますよね。

  あと出口近辺の営業的な部分では、サイトやTwitter、FacebookのようなSNSを活用する場面が増えそうです。

今井 そうですね。

  いまは、まだ、こういう電書編集者っていないと思うんです。

  こなせる人材がいないということですか?

  あ、できるひとはいますね。きっと想像以上にたくさんいそう。でもあんまり出てきていない。紙の本でスキルを持っているひとは様子見している感じがあるし、そうでないひとは従来の「編集」という枠にこだわりすぎて躊躇しているのかもしれない。

●電書時代の印刷会社は、出版社になりえるのか

<印刷屋はデータの中身を読まない>

  印刷会社さんがこういう電書編集に関わっていくわけにはいかないんでしょうか。

  これからは、というお話ですね。

  そうです。

今井 「これから」の前に「これまで」についてもう少し話してもいいですか。これまで印刷業者がそういう部分にタッチしてこなかったのは、それがずっと隣の芝生というか、出版社さんがやられることだったからですよね。

  ええ。

今井 ぼくらはその出版社さんからお仕事をいただいているんですね。力のある大きな印刷屋は自ら出版を手がけたり、買収しちゃったりということもありますけど、大多数は違います。はっきり分業して、中身は出版社さん、編集者さんにお任せして、ぼくらは刷って、製本するというところを担ってきたんです。

勝田 データ入稿は、読まないですもん。

今井 そう。読まない。

勝田 中身は読みません。

今井 コストかかっちゃいますもんね。

  中身読むのをコストと判断するのはやめませんか(笑)

  いやいや。プリプレス(印刷をするまでの前工程)はぜんぶ人件費ですから、それはコストなんですよ。読むのは、明らかに時間がかかりますし。

  そうかあ。

勝田 読んじゃうと「アレ?」と思う部分が見つかったりしますよね。お客さんや内容によっては指摘しますけど、編集作業的な部分については気づいても基本的にはスルーします。

  うーん。それが職業的な棲み分けだったり、職人的な矜持になっているんですか。

勝田 そういう感じですね。

今井 この世界には「士農工商印刷屋」という有名な言葉があるんです。

  そうなんだ(笑)

今井 印刷屋のあいだでは知らないひとはいないくらい、よくいわれる言葉です。例えば、先日飛び込みのDM依頼があったんですよ。見積もりを出そうと、念のために社名とどんな内容の印刷物かを確認したら、「なんで印刷屋がそんなことに口をだすんだ」といわれました。

  おー。

勝田 あー。

今井 「腹立たしいので、今回は頼まない」といわれてしまったんです。

  うおー。

今井 これホントについ最近起こった、リアルな話です。

  うーん。

今井 だから、靖さんのように「中身に関わってよ」とおっしゃるのは、印刷屋を知らないからのような気がします。これまで印刷屋に発注したことのないひとが、そういうことをいう。

  あー、なるほど。それは反論できません。痛いところを突かれたかもしれない。

  ぼくらの業界は分業の意識がかなりはっきりしてるんだと思います。ただ、最近はちょっと違ってきている部分もあります。いまは校了時にデジタルプルーフ(インクジェット方式などによる校正紙)という面付をした校正が出るんですけど、うちの営業はそれを徹夜で読みこんで、細かいところを指摘するということをやっています。でもこれは新しいお客さんに対してのことで、これまではそこはタッチしなくていいし、むしろ踏み込むべきではない、とお互いに認識していた部分なんです。

<編集にはノータッチでいたいと思う、印刷屋の気持ち>

勝田 そういう意味では、「編集」的な部分はできればノータッチでいたい。少なくとも「相談されればやるけど、あえて踏み込まないよ」というスタンスでいたいです。

  はい。

勝田 ぼく自身も最近、アーティストまわりのコンテンツづくりをやっているんです。ポスターだったり、ジャケだったりにイチから関わると、どうしても「コンテンツ」そのものにタッチするようになってくる。でもやっぱり「本」となると、新たに勉強しなくちゃいけないことが多そうで、そこはタッチしたくないなあという気分が強いです。

  勉強というより、人脈づくりがたいへんそう。

勝田 人脈ですか。

  編集者さんが持っているクリエイターとのネットワークは一朝一夕にできるものじゃないから、商売として考えるとそこがいちばんたいへんだと思う。

勝田 あー。

  昔ほど、編集者さんが人脈維持のための飲み屋をまわりまくる時代でもないと思いますけどね。

  たしかにそういう意味でも変わってきているんですけど、でも出版社さんのシステムって「本をつくる」という目的にホントに特化してて、よくできてるなあとあらためて思うんです。もちろん電書をまったく新しいジャンルだと考えれば、そこに印刷会社が入っていくことにわだかまりはありません。でも、電書もやっぱり本だからと思うと。

今井 情報って、いまはもう指数関数的な勢いで増えてますよね。ある人から「ゴミだらけの情報から有用なものを取り出すのは手間がかかる。これ以上ゴミを増やすな」っていわれたことがありました。印刷屋もその一端で情報を次々に流しているので、そういう意味で「ゴミ」を作り出す方の仕事なんじゃないかと、時々思うことがあるんです。

  燃えるゴミ。

今井 そんなことをいったらいけないんだけど、あえていうなら、行き着く先はそういうことです。でもぼくらは、お客さんの発注を受けてつくるので、そこのところは避けて通れるんです。

  うん。
今井 もし自分たちが中身に関わったら、「ゴミでないもの」をつくる責任を自ら背負うことになりますよね。だから、そこを取り仕切っている編集者さんに幻想を抱いてしまうのかもしれませんし、「そこはちょっと」と恐れてしまうんです。

  うわあ、なるほど。福袋かゴミ袋か、中身を知らないままの方が幸せでいられるんだ。

今井 その部分は、お客さんに頼っている、ということですよね。だから、自分で中身をつくるということは、ある程度腹くくってからでないとやれないというのは、あります。そのために、これまでのやり方を知りたい、と思ってるんですよ。

<マネタイズを担う部門とコンテンツクオリティを担う部門>

今井 リスクを誰が取るのか。印刷屋は言われた通りに作るのが定石。 

  そうか。でも、それライターも同じなんですよ。ほとんどの依頼された発注どおりにつくるのが定石です。でも電書をはじめるにあたって、ぼくはこの定石を外しているんです。自分が出版社や編集者になって、他の著者さんに声をかけたり、同人誌的に自分で著者と編集を兼ねた本をつくっている。電書では、このリスクを極端に小さくできるんです。だからリスクの内容を具体的に検討すれば、定石を外せる道はまだまだ探れるのではないかという気がします。

  なるほど。

勝田 印刷屋をやってると、100%のものをつくるのが仕事だという感覚が身につくんですよ。110%、120%のものはつくっちゃいけない。お客さんに指定された色よりも発色のイイ鮮やかな色があることに気づいても、そこを変えたら依頼通りではなくなっちゃいますよね。私情をはさまずにやるのが仕事なのだと思ってますから。

  フィードバックはしないの?

勝田 製作の段階だったら、いいます。そこはシアン100%だとキツイからイエロー50%混ぜましょう、といったことを言うのは制作屋がやることだと思うんです。版になった時点で、その通りにやらなくちゃいけない。

  なるほどね。それはそうだよね。

今井 あー、でも昨日ぼくはその正反対のことしました(笑)詳しくはいえませんけど、届いたデータに口を出してイジってしまった。

  そのへん、アンビバレントな商売なんですよね。同じ印刷会社のなかでも、校正よりも前の工程のひとは制作とベタに接して、お客様をみるんですよ。でも工程が先に進むと意識が違って、お客様の要望通りのモノをいかに再現するかになって、製品をみる。それがひとつの企業のなかにいるのが印刷屋なんですね。ぼくのような営業が現場とよくケンカをするのも、その現れだと思います。

今井 あー。

  でも、この仕事でお金を生むのは後の工程なんです。乱暴にいってしまうと、製造現場は機械を効率よくまわすことでマネタイズができる。でも前工程は人件費の比重が大きくて、コストダウンが難しいんです。こういう矛盾するものをセットにした仕事なんです。

  分かりやすいですね。その両者をセットにしていたから、採算のとりづらい前工程を引受ることができていたともいえそうです。

今井 ぼくも印刷業は「後工程が儲けを出してる」と思うんですけど、それをいうと「何言ってるんだ、前工程がつくったコンテンツがあってできたものだろ」ってなるんですよ(笑)

  そうそう(笑)

今井 この話題だけでぼくらはビール3杯飲めちゃう(笑)

  飲めちゃうんだ(笑)

今井 これってマネタイズを担う部分と、コンテンツクオリティを担う部分が別になってるということですよね。いまの電書市場って2つの方向がありますよね。1つは、映画をDVD化して採算をとるように「既存の紙の本コンテンツを電子化する」方向で、これならやれるんじゃないかと動いているひとたちがたくさんいる。もう1つは「電書ならではのコンテンツで新しいマーケットをつくる」という方向で、ぼくらがこの鼎談をEPUBやアプリにしているのは、こっちの可能性を探っているんだと思います。でも、こういう市場ってまだあんまり開拓されていない。でも、これから後者の市場が立ち上がってくると、いま話しているマネタイズとコンテンツクオリティの問題がはっきり出てくるような気がします。

  うん、そうでしょうね。

今井 少なくとも、ある程度の規模のある会社が後者の電書をやるときは、そうなるでしょう。

<紙の本を電書化するだけではない、ホントの電書マーケット>

勝田 会社の規模によって印刷もぜんぜん違いますよ。ぼくは自分のことを「街の印刷屋さん」といっちゃうんですけど、印刷屋という言葉の意味も広すぎますよね。

  うんうん。編集者という言葉と同じで、いろんな業態を含んでますよね。

今井 曖昧で意味が広い分だけ、電子書籍とかに取り組みやすいってこともありそうですけどね。

  技術的にはできますもんね。

  技術じゃなくってカネなんすよ(笑)

  じゃあ、おカネの話しましょうか。1回目の鼎談でも話が出ましたけども、紙の本の出版では、取次さんというお金を先に払ってくれる存在がいることでマネタイズが可能になっていた。でも電子書籍には、そういう存在がいない。だからホントに売ってみないと、いくらになるか分からない。しかもAppleだとかAmazonの動向によってカンタンに状況が変化する。

  はい。売り上げの予測が立ちにくい。

  だから多くのひとは「しばらくは様子見だ」となってる。でも「よし、いける」となったときにはあっという間にみんなが参入して、低価格競争のレッドオーシャンになっちゃいそう。

今井 すでに、そういう気配ありますもんね。

  そうなったら、ぜんぜんおもしろくない。ぼくはこれまでの出版とは違うマーケットのカタチを期待したい。それだったら、もういまでも、ぜんぜんできるんです。例えば「類書のない新企画」を実現する場として利用する、とか。

  いまの出版システムでは稟議を通らないようなものが、電書のマーケットならやれる可能性はありますね。

  いくつか出版社さんとも話してるんですけど、感触は悪くないですよ。電書単独で利益が出れば一番シンプルです。それが難しくても、電書での実績をベースにして、紙の本を製作することもできますしね。

今井 パイロット版的な位置づけですね。

  100人、1000人の読者に向けてつくる企画も電書では実現可能だと思います。大雑把にいえば、これまでのほとんどの書籍は「1万部売れば成功」という大前提のもとに企画されたものですよね。文字通り「万人向け」だったわけです。この前提が変わることで、開かれる可能性にも期待したい。

勝田 紙の本もすでにそうなってませんか? 3000部でも採算がとれるような原価を設定してやっていこう、というような本がたくさんありますよね。

  ありますね。でもそうやって作られる本は、制作費が極端に切り詰められるので、ライターとしてはあんまり期待の持てる方向ではないっす(笑) コンテンツのクオリティに直接関わる部分にまで、削減の波が来てますし。

今井 数千部の書籍って、視聴率でいえば0.1%にも満たないような規模ですよね。これはもちろんマス向けではない。そのうえ特定の層を狙ったセグメンテーション的な企画ですらない場合が多いような気がします。これは上手くいかないでしょう。それよりもっと部数を絞ってでも、ターゲットを明確にした方がいいですよね。電書はそれに向いていそう。

  ですね。焦点をしぼるのもいいし、拡散させることもできそう。日本で10名くらいの心しか打てないマニア的な小説でも、その10名が世界各国にいるなら、英語で出しちゃえばいいじゃないとか。乱暴だけど、こういうやり方で出てくる新しいものを見たい。

勝田 その話でいうと、この「湘南電書鼎談」をまとめた電書って、ターゲット狭そうですよね。

  うちの娘はたぶん2ページも読めない(笑)

今井 出版だったり、印刷の業界周辺の方以外には共感得られにくい内容ですもんね(笑)

  うーん。電子書籍そのものに興味を持ってるひとは多いと思うんですけどね。まとめるときに、かなり平易になるよう意識はしたんですけど、もっと具体的なターゲットを決めた方がいいのかな。

勝田 印刷会社に発注をする担当者の方にはぜひ読んで欲しいです(笑)

  あはは。

勝田 絶対おもしろいと思います。

  ですね。

<印刷会社は出版社になりえるか>

SS  書店が出版部門をもつことがあるように、印刷会社が独自の出版部門をもつことは難しいでしょうか。

  今井さん、Twitterでこんなこと書いてませんでしたっけ?

今井 出版というより、書店をやれないかなと思ったんです。もちろん普通の書店ではなく、少し出版的な要素も含むんですけど。ただ、あんまり他の業種のひとたちのところに首突っ込むのもなあ、とも思ってます。

  その気持ちは分かるんだけど、みんなが自分の役割に安住し過ぎると、かえって業界を壊すことになるんですよね。それはたぶんずっと繰り返されてきたことなんだけど。

  はい。

  いまっておもしろい本屋さんがどんどんなくなっちゃってて、これは再販制度の悪い面が出ているのが一因だと思うんです。取次からバンバン入ってくる本をいかに返すかが商売のコツになってしまうような状況がすごく嫌なんですよ。この負の連鎖を断ち切らなくちゃいけないですよね。

今井 役割分担にこだわってる場合じゃない。たしかに。

SS   「大日本印刷が主婦の友社と資本提携している例がある」との指摘をTL上でいただきました。これは特殊例かな。

SS  廣済堂の廣済堂あかつきもグループ会社ですが出版部門と考えていいのでは。

  あ、そうですね。でも大日本印刷さんとかはちょっと特殊ですよね。

勝田 印刷会社といっていいのか、とさえ思います(笑)

今井 もはやIT企業ですよね。液晶だとか基板のプリントとか、そちらが主力ですから。堺のコンビナートの一角にその工程をになう敷地を持ってます。

  そっちが主力で、印刷はもう片手間なんだ。

今井 他の事業でも利益を上げていて、ぼくらにはできないような設備投資もできますから、印刷の価格をグンと下げられるわけですよ。まったく太刀打ちできないです。

  そうなんだ。超大手印刷会社って、建設業界でいうゼネコン的な存在なんだと思ってました。

 そういう側面もありますよ。下請けに発注したりとか。

今井 でも、自前の印刷工場持ってますからね。ゼネコンとは違います。

  この辺はオフレコで話しましょうか(笑)

勝田 印刷屋が出版をはじめるときのネックになるのは「流通」です。ここを持つことができれば、やりたいところは多い。でも、そのためには取次会社と付き合わなくちゃいけないんですよ。

今井 でも、取次に口座が持てない。

勝田 そうそう。

  大手でない取次さんはどうですか?

今井 調べるといろいろあって、けっこうリーズナブルな価格設定のところもあります。でもイザとなると、最初に基本料として100万持って来いとか、ね。

勝田 初期投資とかのリスクが大きいんですよ、それでやめちゃったんです。

  電書なら取次いらないですよね。

勝田 そう、そこには可能性を感じるんです。でも、その市場にはぼくらの印刷機も、製本会社との付き合いもいらないんですよね(笑)

  それでいいじゃん(笑)

勝田 うーん(笑) ただ、中小の印刷会社が出版部門を持つようになれば、埋もれている作家さんにはチャンスになりますよね。

今井 うちの印刷会社にも、眠っているコンテンツはあるんですよ。版元さんに出す体力がなくなってしまって、たまに問い合わせがあっても「もうないんですよ」と答えるしかなくて、そのままになっている。こういう本ってときどきあるんです。数は少なくても確実に「欲しい」という声がある以上、こ牛田コンテンツを届けるツールとしての電書は考えたいなあ、と思います。

  ぜひ考えてみて欲しいです。そこから始まることがありそう。

  そろそろ時間が。

  じゃあ、ひとことだけ感想いいですか。

  どうぞ。

  編集というテーマは大きすぎたかもしれません。まとまらなかったですね。すみません。

今井 そうかもしれないですね。

  このテーマはもう少し細かく分けて論じたほうがいいのかもしれません。あと、ぜひ現役の編集者さんにも来てもらいましょう。

  いまたぶん本物の編集者の方がけっこうこれ観てくださってますよね(笑)

  みなさま、次はぜひこの席に!

一同 宜しくお願いします。おやすみなさい。

●追記

 本書は2011年6月25日におこなわれた鼎談のUSREAM配信アーカイブをもとに構成されています。
 なお約2時間の鼎談で飲まれたのは、葉山ビール、鎌倉ビール、江ノ島ビール、そしてコーヒーでした。

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