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拍手すること

唐突ですが、拍手する機会が度々あるかと思います。
誰かが挨拶したとき、エールを送るとき、何かが終わったとき、周りが拍手しているので釣られたとき。その場面も様々で、イベント会場であったり、オフィスであったり、学校であったり、何か多目的スペースであったり。

基本的に私が拍手をするときは、聞こえるように拍手しています。「そりゃ当たり前だろ!」という声が聞こえてきますが、あるきっかけを体験するまでは考えたこともありませんでした。

聞こえるようにというのは、その拍手全体の中で埋もれないように、やや大きめの音で手を叩くわけですが、意識としては

”1票を入れるような気持ち”

です。このパチパチという音の群がより良い塊になるように1票を添えるように叩きます。だから悪目立ちしてやたら大きく叩くことはありません。もちろん全体が大きい音のときは自分も相対的にバランスをとって大きくする必要があります。なぜなら、全体の塊の中で自分が埋もれないように、かつ自分の役割を果たさないといけないからです。

・音の塊の中にあるもの
響くような空間であれば、低めの音でゆっくり目に拍手することもあります。要するに低音パートを自ら担当するわけです。そうすると、パチパチとう音の塊の中にバコバコという鈍い拍手が混じります。

逆にスピーディーな場面で、さらっとした拍手の塊のときは、音の塊自体の高めのパートを担当し、早めの間隔でペチぺチと叩きます。基本的に他の人は音程を意識していませんので、上のパートか下のパートを自ら担当すれば埋もれずに、かつ音の塊の中で足りていない音域を追加することができます。それにより、拍手の音の塊に、よりリッチな躍動感を出せるでしょう。

・拍手はオーケストラ
ここまでの話で、なぜそんな訳のわからないことをしているのかと思われるでしょう。自意識もあります。

それは、一つのきっかけがあった訳ですが、それは学生時代の吹奏楽部の時の経験です。その当時の経験が今も影響を与えています。
吹奏楽部では50人程度のバンド(チーム)でコンクールや大会に出場します。コンクールが遠征の時は泊まりになることもありました。前日や当日の直前に練習できるように、練習場所を確保していただいたりする訳ですが、時間にも限りがあります。その人数でラッパや笛の集団が音を鳴らすことができる場所というのは当たり前ですが限りがあります。特に夜の宿泊場所では一切楽器に触れられません。

そんなとき、いつも夜は手拍手で練習していました。楽譜通り、各自のパートの通りに手で演奏するのです。周りから聞くとただの手拍子のように聞こえますが、リズムはそれぞれ楽譜通りです。大きいところは大きく、小さいところは小さく叩きます。自分の役割を果たすように、楽器を演奏するときと同じように手を叩きます。

そんなときに意識することは、全体の音の塊の中で自分がどのような役割であるかです。

その頃のことが、今でも根付いており、拍手するときは音の塊の中で自分の役割を果たすように叩きます。

・余談
最後に余談ですが、拍手の音って、天ぷらを揚げているパチパチという音に聞こえるよね?と言われてから、その音にしか聞こえなくなってしまいました。

終わり