死ぬ前におばあちゃんの眉毛を触ったはなし

ふと、どんな過ちを犯しても、無条件にわたしを愛してくれる人は誰だろうと考えた。

お母さんは確実に愛してくれるだろうな。
お父さんもそうあってほしいな。

そして、もうひとり強烈に思いついたのが、母方のおばあちゃんだった。

韓国に住むおばあちゃんは、会うとかわいい、かわいいと言って、わたしを撫で回してくれる。日本にいると誰かにかわいいと言われることも、顔を触ってスキンシップされることもないから、とても新鮮だった。そういうめちゃくちゃ分かりやすい表現をしてくれるから、わたしもなんだか浮かれてしまって、顔をニヤニヤさせてそれを受け入れてしまう。

おばあちゃんと同居していた叔母と、わたしの母は仲が悪く、小学校低学年のときに祖母に会って以来、会うことが少なかった。

一番おばあちゃんと仲良くなれた気がしたのは、高校1年の夏、母が病気をして実家に帰えるのに、ついていったときだった。(心配だったのもあったけど、本当は部活をサボりたかった。)

2泊3日なら観光したり楽しいけど、3週間ほどいるとなると、やることがなかった。

毎朝、おばあちゃんが山登りに行ってたので何度かついていった。むちゃくちゃゆっくり、少し歩いては休むという、夏なのに全然汗をかかない山登りだった。

その裏の山は想像よりもしっかりした山で、少し奥にいくとお寺とでっかいお釈迦様の像がそびえ立っている。そのお寺までは、例の母と仲の悪いクリスチャンの叔母と行った記憶がある。

おばあちゃんと行ったのは、その中間の、少し広場になっていて、運動器具や日本では見たことのないどでっかいフラフープが置いてある場所。そのフラフープをおばあちゃんは余裕で回す。歩くのは遅いのに、それは回せるからすごい。

その場所には既にお年を召した方々が数名いて、みんな運動をしていた。おばあちゃんに話しかけてきたおじさんとのやりとりを聞いていると、おばあちゃんはずっと笑っていて可愛かった。きっとおばあちゃんはモテる方だとおもった。そして、これを書きながら、わたしも人と話すときに笑ってしまうのは、おばあちゃんに似たのかもしれないとおもった。(なんでモテるのは似なかったんだ。)

そんなおばあちゃんは一昨年の11月に亡くなった。

亡くなる前に日本からお見舞いにいった。集中治療室みたいなところにいて、15分しかない面会時間で、わたしはビニール手袋越しでおばあちゃんの眉毛を触った。おばあちゃんの眉毛は、眉毛の形で入れ墨が入っていて、消えないようになっている。(韓国の芸能人とかよくやってるイメージ)いつも綺麗になっているのが小さい頃から、不思議だった。やっぱり擦っても消えなかった。わたしは最後におばあちゃんの眉毛を触れたことが、誇らしいような、全てやり遂げたような気持ちと、おばあちゃんの性格に触れられたような気がした。

おばあちゃんはよく遊ぶ人だった。おじいちゃんが亡くなる前から不倫をしていたらしい。子育ても放棄してよく踊り行っていたらしい。亡くなった後には高いヒールの靴が何足も見つかった。例の叔母はお葬式でもほとんど泣かなかった。

おばあちゃんは多分、人に、家族に興味がなかった。だからきっと、わたしが過ちを犯したとしても、いつもそうしてたように、かわいい、かわいいと言って、変わらずわたしを撫で回してくれるだろう。

あんなに仲良くなったと思っていたのに、帰るとき、タクシーの中から振り返り、窓越しからバイバイと手を振っても、おばあちゃんはもうわたしの方を見ていなかった。外に出てきた近所の人に話かけていた。

それでも、わたしはそんなおばあちゃんが好きだった。家族に対して無責任でも、そんな風にわたしをかわいいと言ってくれる人は他にはいないし、ハグしてくれるし、愛嬌があってかわいいし。わたしは孫で、直接育てられたわけではないからそう思えるのかもしれない。

日本から葬式に行ったから、出棺前に間に合わなくて、死んだ後の顔を見れなかった。だから、今でもおばあちゃんが死んだとは思えてなくて、また韓国に行ったら会える気がしてしまう。

死んだ後の、その整った眉毛をわたしは見てみたかった。




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