ミセスの「コロンブス」とわんぷり

ミセスのMVみたときに

わんプリが見られなくなったのって 原因にてるな~とつながった。

①本人は仲良さそうにしてるけど、あきらかに対等な関係に見えないこと

②相手の生き方を否定しているように見えること(わざわざ犬から人間に変身するプリキュア)

③制作側の一方的な視点で 制作側の意図が 受け手とすれちがってしまったこと。


わんプリ ネットでは好きな人が多そうに見えるから 
ただ自分の感性ってだけなのかもだけど 見ないという人もいて。

アンチというと、ただ新作に反発したいだけの意見もあるけど、
中には 冷静なのもあり そうなんだよな~と思わず頷いた。


わざわざ犬から人間に変身するなら 最初から犬である必要って。。。?
みたいな意見は個人的にその通りだと思って。

黒人やアジア人の役を 白人が演じることで(white washing) 
名誉白人になってはじめて活躍できるみたいな

その対等じゃない関係が根底にあるから 

「アナタ(動物)の声を聞かせて」と言われても

キャラデザがどれだけ可愛くても(正直キャラデザは可愛い)

抱きしめて改心させるとか 優しさを前面に出されても

説得力がない。

犬から人間は 犬という存在を否定しているようにも受け取れるのに
動物と仲良くしたいという展開が矛盾してしまう。

ミセスのmvでは 犬がサルになって サルに西欧の白人文明を教え諭す。
もちろん
その犠牲の延長線上で今の私はコーラ、ハンバーガー、バスケの試合鑑賞、ラップ音楽、アメリカドラマや映画などの現代のアメリカ文化を楽しめているわけだし
サルが人類の祖先という面もある。

それでも わんプリと同じく

「アナタを洗練された姿にプロデュースしてあげる、
というナチュラルな上から目線」

「調教してる感」

がどうしてもまとわりついてしまう。

わんプリもミセスのmvも

言葉や見た目がちがう相手を理解する 制作側の意図は何となく分かるが 

舞台設定・演出から誤解されそうで 思いが伝えきれていないように感じた。


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