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書きかけの記事があった!

ので、仕上げてみよう!の冬休み。
自由な登校スタイルを持つ次男も来年進学で
兄の進学について漏れ聞こえてくる様々が
より体感としてあるのか
「冬休みはちゃんと宿題しようと思う」と
神妙な面持ちで決意していたので
ほんなら母もやってみよう。という流れ。

事象として表れるという輪郭の屋号で、
中身であるする事には名をつけてないんだよね。
by わたし

自宅に旦那氏と掲げる
看板の制作を依頼した時に
モヤっとするけどこんな感じです。と伝えた言葉。
…なんだってー?!!
ちょ ちょっと待て、私。
自分から出てきたけど!だけどもだけど!

自分の活動に名前を付けたくて仕方がなく
「はっきりくっきり何をしているかわかる様にと気を急く意識は誰のもの?」と
問うていた事に対する言葉がスラッと出てきて動揺した。
する事に名を欲してたはずなのに一周まわって収まる
「結果そこでした」感に拍子抜けしたよね。

そこに至るまでの時間、
あるいは意識の距離感は人によって違いもあれば
至った地点によってはギャップが生じるため
修正も都度必要かと思う。

例えば、理想の自分というものが虚構だと
『底上げモールドカップのブラはつけ心地が嫌』な
私に気がつかなかったりする。
(しかし例え方…😂)

考え方やものの見方に偏りが生じるという点で
1人ではたどり着けないのが
もどかしくも面白いのだけどね。

しごじゅー肩、先ずは仲良く暮らしながら
折りを見て可動域を増やせる様に動かしてみてる

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