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自分自身が平和でいる事

「理不尽」で探したサムネイルが言い得て妙ね、と微笑ましい。

最近、インド哲学?ヨガ哲学?なる書籍を
ほうほう…と読みながら
タイトルに書いた一文に出会う。

『自分自身が平和でいる』
その為に、私は何をしているか?と読んだら

夕刻に起きた
家庭内工業な外注に対し旦那氏が発する言葉に
キレかけた自分を思い出した。爆

それほど先ずは…これか!の案件。

自分から始まったその影響に対し
自分の誤りに心を開くこと


ひとしきりdisる言葉が脳裏をよぎったのだけど、
それでは埒が開かないと充分に知っている上に
選んで伴侶なのである。ならば。
望みを聴こうジャマイカ🔥
one loveってボブマーリーもゆーてる。

アンガーマネジメントも
変えられないものと変えられるものを分ける所で
相手より自分。としているのだった。

…したらば。よ。
相手の言わんとする行間を
説明翻訳する為の語彙、少な!と自分にびっくり。
また、相手の発した刺激に対する
過去選んできた反応とその選択肢も少ない。
要は
disに至るまでの感情(一次感情と言われてる)を無視していて
自分が思っている以上に相手に甘えてるのだ。

この件は企業への問い合わせ等も必要で
どのように落ち着くかはわからない。けれど
いい機会になったな。

私、と思っているわたしにも
明るい(見せたい)部分と
暗い(見たくない)部分がある。

その構造で入れ子状(或いはフラクタル)に
世界があるのなら。
試してみる価値あるかもー。とかなんとか思った夜更け。

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