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選択をする、の年でした

史上稀にないゆるさで過ごしている年末。

そもそもゆるめな生態に輪をかけた状態なのだが
「なにかせねばならぬ」と謎の生き急ぎ病も
習慣的に思っている事かなー。
などと一旦他人事にして茶をしばいている。

さて、
ケンブリッジ大学バーバラ・サハキアン教授の研究によると
人は1日最大で3万5千回、決断をしているそう。
決断の数も諸説あり
他には1.2万〜6万回とも。
家族やその時関わる人に対しどうする?から
更に自身の目が、背中が痒い。や
いつ寝るか、どう寝るか、をどうする?までを思えば
私は無駄に考え、一部固執してるみたいだ。

ゆーて 決断=選択 なんだけど
習慣化するか否か、に繋がる話しかもなあ…と
ふと思う。
今年、秋から怒涛の「休めばいいのに」ムーブが勃発し
(しごじゅー肩をはじめ身体に変調が出現した)
素直に降参してみて過ごした日々を観察したら
「決める」はだいぶ日々に影響があった。
…素直に降参したのもある意味決断よね。
生きてる私、えらい!

飲めるお酒の量は対して多くなかった

いきなりのコレ。
浴びるよに飲んでクダ巻いてたのサーセン と
パンチラインに変化するモデルチェンジ。
事実としての悪行は変わらずそこにあるけどね。

流行り風邪で倒れて以来、
キャパオーバーのアルコールを摂取すると
何故か鼻水鼻詰まりが起こる様になった。
最初は季節柄の寒暖差かしら?とのんきに構えていたけれど、
この症状を無視して飲み続けると当然の如く
いわゆる飲み過ぎで吐き気が出るなど具合が悪くなる事を数回経験し
用法容量を守った適量にシフトした。
(数回経験ってあたり鈍感にしたい自分が居る。笑)

過去お付き合いをしていた男性に
「どれだけ飲むのか」と割とガチめにキレられたり
玄関先で力尽き寝ていたのも今は昔。
飲めなくなったのは加齢現象とも言えるけど
そこはそれ、身体のサインに従っておくと
いい事あるよ。ドーナツ屋さんじゃないけど。

愛ってフワフワ気持ちイイだけじゃない。
けど、その先にあるやつ。

今年は社会規範に染まりきってないかい?を自分に問うた結果、
占いやエネルギーワークにチャレンジして
ボディピアスをした(突飛やなw)
別名・昔憧れたものに手を出してみようキャンペーン。
その選択に利害が内側にあるか外側にあるかを感じに行った感覚。
(ピアスは広義で仕事辞めたし髪染めよ!のノリだけど
 予約入れる時と、待合で揺らいだのは事実)

思い返せば
準備してるつもりで全くしてないヤツやった!とか
今思えば無茶してたのか…。とか
あ、コレは平気!とか
自分に対するギャップ面白すぎ。
バスガイドさんたちの「はーい、今ココでーす」を
わからないフリする自分の意固地さは
接客業で出会う話を聞かない嫌な客そのもの(爆)

適切な言葉を知らなかっただけかもしれないし
その言葉すら相手の心象によりKYとされ
許されなかった事で学習した経験かもしれない。

そんな経験の基礎も今思うところであれば
ひとつ屋根の下での事実婚を知らないままいた私が
愛と恐れについて両者が話さず
誤解がある状態だった事を私が聴いたままにして
確認せずにいたから結局そーなるよねー。と
納得もしている。

耳の一部ピアスをボディ用に付け替えたら
超快適な「付けっ放しズボラ出来る仕様」に変身し
アクセントを付けるピアスを作りたくなったのも
選択の結果、ものの見方に変化が起きたのかもしれない。

来年の事を話すと鬼が笑うので
あと数時間ではありますが
ゆるゆるまったりと穏やかに
新年を過ごせますよう、ご挨拶。

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