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共通言語、雑感

consciousness   con・scious・ness
kάnʃəsnəs(米国英語)
kˈɔnʃəsnəs(英国英語)

(知覚反応のある)意識,
(自己の存在や権利などの内的認識としての)意識,自覚,
(漠然とした)意識,感づき,意識

weblio辞典

に、アクセスするだろう
ひとつのツールを学んできた。

枠が無いようであり、あるようでない。
そんなツール。

“肉体とは別の意味での 私という存在とは?
また、別とされた肉体の存在とは?”
を自身で問うのだと私は認識している。

共通言語を持ちつつ、見方はそれぞれある。
その違いを知る事が楽しいから続けるのだ、と
今日学んだツールとは別に
それ以前より学んでいる事も含め
最近始めた
仕事でも似たようにどうやら感じている。

共通言語を学ぶ事で出会える人がいる。

それと共に、
言語の使い方を知り、伝える様になるからこそ
近しい共通言語を使える人がいる事に
ふと気がつく事もある。

はじめてから感じたのは
構造を変えたいと願うだろう時に
帰属や権威なのか
構造的な意識を感じる事が面白かったし
(自分にもあった事に気付くと楽でした)

そうした温度差があるのは
誤解を招く表現があったかも、と
想いを馳せる機会になって有難い。

また、現実そうだとしても
各種の学びを続けて
具体的にどんな恩恵が私にあったかといえば

私自身が手放せなくて悩んでいた
ものの見方(思い込み)について
整理が付いてきた感じがあるから
言語化して先輩に伝える事が出来、
「それ!そこの状態で自分も地団駄してた〜!」と
話せる状況を作れるし

苦手だと思っていた素材も色柄を選別したら
意外とイケる服があって

互いの知見の話をしながら
これもそれぞれの面白いものの見方ね、として
実践する人がいる事実。
(全くの初対面でも皆「温泉」で楽しいw)

そんな事が溢れてて
幸せだなー、と感じてる。

2ヶ月前まで
「これ以上覚えられない!無理!」と
頭パンパンにしてた気がするのもおもろいし
業務稼働中の体感に対する
見解がひとつ増えたのも楽しい。
(これ、すっかりシェア忘れてたやつ)


ほんでもって
書くだけ書き散らかして

今調べたら

第6ハウスに天王星を持つ水瓶座の
フラットな変態性が露呈された感しかない。

ともかく、
なんかよーわからんけど
(処理が追いついてないw)
身体が喜ぶエナジーツールが加わりました。
よろしくねー!

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