私は原爆投下日を忘れたのだ
今日が広島の原爆の投下日だということを、自分より年下の女性のインスタのストーリーをみるまで忘れていた。
正確にいうと、脳内で何度も日付を見返して、今日が確かに2024年8月6日だということと「ヒロシマ」というワードが繋がった。
朝、日記を書くときに確かに日付も書いたのに。
俳句もやめてしまい「原爆忌」という季語も遠くなった。
そんな自分に恥ずかしい気持ちでいる。
祖父母が生きていた頃は、いつも「戦時中、戦後を生き延びた祖父母が居たから自分はここに存在するんだ」と誰かから言われたのか、自分がそう思い至ったのか、頭の中にその考えがこびりついていた。
クーラーの効いた部屋で簡単な夏休みの宿題をこなしながら、当時クーラーも使わず質素に暮らしているように見えた祖父母に頭の上がらない想いや言葉にならない後ろめたさを抱いていた。
その祖父は8月6日に広島湾沖で原爆のきのこ雲を見た。
身体が弱く、兵隊として前線に送られなかったそうだ。
祖母は偉い軍人の娘だった。
戦争に負けてどんな気持ちだっただろう。
父親のことをどう思ったのだろう。
幼くして母を亡くし、男兄弟に囲まれ、世間の目にどう耐えたのだろう。
もう一人の祖父は軍医だった。
台湾の方面で軍医として安全に勤務を終えたという。
何がいいたいかというと、2人の祖父は人を殺したのだろうか?
日常の風景が空爆で目の前で殺人が繰り広げられる戦争という狂気を体験した後で殺人事件のニュースをどんな気持ちで眺めたのだろう。
どう切り替えたのだろうか。
昨日までみんなやっていたじゃないか。
そんな風に思ったのだろうか。
戦後の混乱を経た平和の中で、それはきっと蓋をされた意識。
私と同じように(人を殺していなかったとしたら)祖父は戦争中、罪悪感を覚えたのだろうか。
こんな話、祖父が生きていたってできなかった。
聞くのが怖かった。
目を覚ます時間だ。
今だって戦争は起きているじゃないか。
罪のない人がひどい目にあっている。
私は娘に原爆をどう伝えるか。
原爆記念館に行ったことがあったって、語り部の方のお話を聞いたことがあったって「怖い、二度と起きて欲しくない」以外に私の思考と行動は止まったまま。
株価が大暴落したって、どこで底を打つかなんて誰も知らない。
そんな不確かなものが、この世にあるもののほとんどだ。
それなのに、私は原爆投下日を忘れたのだ。
忘れていた自分に、大いにショックを受けたらいい。